[散歩日和]2010-08-29

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IMGP1584

昨日歩いているときの空気のマイルドさで、もう夏の最悪のときは通り過ぎたんじゃないかと思っていたが、なかなかどうしてエンドレスサマー。今日は暑かった。

東急田園都市線のあざみ野。東急にはそんなつもりなかったのに、横浜市営地下鉄がここまで延長したためにターミナル駅になってしまった駅。駅の周りの商業施設は貧弱だ。ボリュームたっぷりのこってり系も場末の中華も気が進まなかったので、松屋で山かけマグロ丼、490円。

食べ終わってから歩き始める。まだ一度も近づいたことのない小田急線の柿生あたりを目指すが、例によって迷走。太陽の方角が悪戯好きの妖精みたいにあっちにいったりこっちにいったりしながら揺れ動き、そのまままっすぐ進めばあざみ野の隣たまプラーザというところまでやってきた。しかしここで一念発起。ここから再び柿生を目指そうと、左折して、真ん中に小川の流れる広い通り、県道13号横浜生田線に入る。

あたり一帯美しが丘といういかにもとってつけたような人工的な地名だが、交差点、公園、バス停などに保木という古い地名が残っている。左手の道に入って進んでいくとやがてこのあたりを歩いているとなぜか引き寄せられてしまう、横浜市と川崎市の境界の地点に出た。ここまできたらあともう少しと思った。

小型機が低空飛行でかすめ飛び、日曜日と8月を両方ともぼくらの手の届かないところに運び去ろうとしている。

歩いても歩いてもなかなかたどりつかない。柿生駅行きのバスが何本も通り過ぎるのでそれについていったのだが、結果としてそれで遠回りになってしまったのだ。それでもちゃんとバス通りを進んではいるのだろうと思っていたが、不安になってバス停の行き先をみると新百合ヶ丘に変わっていた。途中で道を見失ってしまったようだ。脇道に入り、挽回を試みて、夕闇とともに柿生にたどりついた。[あざみ野駅〜柿生駅(12.0km)[地図]]

新宿まで出てしまう。スタバでマンゴーパッションティーフラペチーノの名前の長さだけで十分のどが潤う。

[散歩日和]2010-08-28

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IMGP1574

このところ散歩の範囲が広がって、東の方角だと千葉のあたりまで到達しているが、そのさらに向こうということになるとまだまだ未知の世界。東京から千葉まで一本でやってきた総武線がその先では、総武本線、成田線、外房線、内房線と幾股にもわかれてしまう。その分裂の仕方がいまひとつわかってなかった。実際には千葉駅では二股にわかれるだけ。片方が外房と内房、もう片方が総武本線と成田線だ。外房と内房は千葉の二駅先蘇我(京葉線との接続駅でもある)で分離するが、総武本線と成田線は5駅先の佐倉で分岐する。だから、今日向かおうとした千葉の二駅先都賀(つが)には総武本線でも成田線でもいけるわけだ。それにしても、千葉から2つめの駅が「そが」と「つが」と脚韻を踏んでるのがおもしろい。

なぜ、都賀かというと、一度千葉市若草区をちゃんと歩いておきたかったからだ。記録上若草区に足を踏み入れたことは1回だけある。その1回というのが、境界の角の部分を跨いだか跨いでないかというきわめてどっちつかずだったのがちょっと気持ち悪くて、若草区の中心の街都賀から歩いてみることにしたのだ。

東京に近い側つまり西口にでるつもりが、千葉県内では東西の感覚が逆になる奇妙な持病の症状が発現して東口にでてしまった。ほどほどに開けた駅前。目立つのはなんといってもモノレールの高架だ。千葉都市モノレールとの接続駅でもあるのだ。モノレール沿いの道は魅力的だったが、そのまま進むとかなり郊外にいってしまうので、JR線を千葉方面に戻る道をしばし歩き、陸橋が見つかったところで、予定通り向こう側に渡る。JRと併走していたモノレールが分離して、水先案内みたいにぼくの進むべき進路を示してくれた。

しばらくモノレールの下を歩き、みつわ台という駅の手前で脇にそれた。真昼は気温が上がるが、夕方近くになるとさすがに歩いてもそれほど暑くはない。汗の出方は正直で、如実に季節の変化を教えてくれた。やがて再びモノレールにぶつかる。さきほどの路線が大回りしてきたのだ。駅の名前は作草部。かなりの難読だが、「さくさべ」と読むらしい。

西千葉駅に向かう道の途中で右折し、千葉大学の東側の道。文教のかおり漂う街。いつの間にか日が落ちるのも早くなっていて、稲毛にたどりついたときにはもうとっぷりと暮れていた。[都賀駅〜みつわ台〜作草部〜千葉大〜稲毛駅(7.9km)[地図]]

駅のそばのドトールで軽く食事兼ティータイム。アイスオルゾラテというのが気になって飲んでみたら、アイスのミロだった。あと、ハムと生ハムの入ったミラノサンド。

東京という有楽町に出て買い物。イヤフォンがおかしいので買い換えようかと、ビックカメラを物色。オーディオ用の高品質のケーブルを製造する渋い会社だった Monster Cable がヘッドフォン、イヤフォンに進出していた。これが結構デザイン的にもコンセプト的にもいい。海外メーカーに広げると選択肢が多すぎて決められない。

銀座Yamayaでワインを買い、有楽町に舞い戻って三省堂で久々に技術書を買った。Web+DB PRESS Vol.59 Rails 3 特集。原理的なところから実用的なところまで網羅されているのでとても参考になる。

変愛小説集2

「恋愛」じゃなく「変愛」。編訳者によるあとがきから引用すると「愛にまつわる物語でありながら、普通の恋愛小説の基準からはみ出した、グロテスクだったり極端だったり変てこだったりする小説」を集めたアンソロジーの2集目。最初は当然のように1集目から読もうと思っていたが、たまたま本屋に置いてなかったので、こちらを手に取った。サイン本だ。

まず収録されている11編をリストアップしておこう。

  • ステイシー・リクター『彼氏島』
  • アリソン・スミス『スペシャリスト』
  • ミランダ・ジュライ『妹』
  • アリソン・ベーカー『私が西部にやって来て、そこの住人になったわけ』
  • スティーヴン・ディクソン『道にて』
  • スコット・スナイダー『ヴードゥー・ハート』
  • レナード・マイケルズ『ミルドレッド』
  • ポール・グレノン『マネキン』
  • ダン・ローズ『人類学・その他100の物語』より
  • ジュリアン・スラヴィン『歯好症』
  • ジョージ・ソーンダーズ『シュワルツさんのために』

名前を聞いたことがあったのはミランダ・ジュライくらいだったけど(それもパフォーマンス・アーティストとして)くらいだったけど、それぞれ個性的な作品ばかりでおもしろかった。

様々なタイプのイケメンでやさしい男たちが暮らす孤島に流れ着いた女子学生の幸福と絶望を描いた『彼氏島』。愛している女性と結婚しようとするときまって感情が爆発してぶちこわしにしてしまう男が主人公の『ヴードゥー・ハート』は廃墟から復元した邸宅、隣の女性刑務所、失踪をくりかえした祖父の物語などをからめて、とてもよくできた短編小説に仕上がっていた。

そのほかの作品も、パートナーの変容、喪失、そもそもの不在がテーマになっていて、あまり「変」という感じはしなかった。ふたたび後書きから引用すると、「変な愛を描きつつも、愛とはそもそも変なものであることを逆に浮き彫りにし、その変さゆえにかえって純愛小説に近づいている」。さらにいうと、どんなでも「変」なものをたくさん集めることでしか「純」なものにはたどりつけないのかもしれない。もともと日本語で書かれた小説だけだと、その「変」のバラエティーが不足してしまうので、こうして「変」なものを見つけてきて翻訳してくれる岸本佐知子さんのような存在はほんとうにありがたいと、あらためて思うのであった。

[散歩日和]2010-08-22

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the end of summer  - IMGP1571

髪を切ってもらっていた。もし早めに終わったらあっち、遅くなったらこっちといくつかプランを持っていたが、実際解放されたのは、早めと遅めの間の中途半端な時間だった。一瞬迷って選んだのは遅めの方。川崎でおりた。

家族亭で穴子天せいろ(900円)を食べてから浮島バスターミナル行きのバスに乗り込む。乗客を乗せたりおろしたりしながらだいたい30分くらいで、終点浮島バスターミナルにたどりついた。その先は海、埋立地の最果てだ。ただし、今では東京湾アクアラインが開通し、真の意味でのターミナル、終わりの場所ではなくなっている。

浮島を選んだ目的は、夕暮れの、ライトアップされた工場の風景を撮ることだったのだが、まだ日は高く、まだ1時間以上かかりそうだった。それを待つだけの気力もモチヴェーションもこちらには持ち合わせがなく、古くからの地引き網漁法のように視線にひっかかったものを撮ることにした。

同じバスに終点まで乗っていた二人のうち一人の若い男性がぼくを追い越して信号を渡り入っていた先は公園。浮島町公園という名前だった。先行する男性はすたすたと進んでいき、正面と右手に海が開けている角に陣取って腰をおろした。何をするでもなくただ風を感じているようだった。その風は、3本の風力発電用の風車をまわしている。ここは彼の秘密の場所なのかも知れない。

公園を一周して外にでるとあとは頭上に首都高の高架がふさがり両側に工場の敷地が並ぶ一本道。工場の中は広大でまるでひとつの街のようだ。もちろんその中には立ち入れないのでまさにゲーティッドシティー。歩いても歩いても風景は変わらず、ただ工場の社名だけが変わってゆく。一向に夕暮れは訪れようとせず、離れた場所から太陽に照らされたプラントを撮影しても、平板であまりおもしろくなかった。

途中運河を渡った他は変化がないまま3km近く歩いて、ようやく自動販売機があらわれて、その先にはコンビニが見えた。そしてはじめての通り抜け可能な分かれ道。まっすぐ川崎中心部に進むのではなく、その分かれ道を左に曲がることにした。その先は夜光という名前の街で、まさに夜も操業を続ける工場の姿から名づけられたという。ちょうど時刻もライトアップされた工場を撮るにはいい頃合いで、これはいってみるしかない。

確かに工場はたくさんあったが、きれいにライトアップしているのは見つけられなかった。だが一応最後まで確かめてみようとその道がつきあたりにぶつかるところまで進んでみた。思ったより長い道のりだった。

臨海部の物寂しさに耐えられなくなって、産業道路の向こう側人が住む街の中に入り込んだ。もうクロージングタイム。このあたり川崎区は扇型に広がっている。その広さに比べて鉄道はあまり発達してないが、その代わりバス路線は豊富でいたせりつくせりだ。現実的な解はバス。それは最初から最後までそうだった。だが、なんとなく鉄道駅で散歩をしめくくりたいような気がして、鶴見線、南部支線に久しぶりに乗ってみたい、いやそれで遠回りして川崎に出るならな最初から歩いて川崎駅周辺に出た方がいいんじゃないかという、二つの頭の中の声がせめぎあいながら、真っ暗になった道をうろうろする。

飲み屋の入口、無地の白い暖簾の下を丸テーブルがふさいでいて、よくみるとその上にセミの死骸がのっていた。夏も終わりなんだろうか。

やがて鋼管通りに出る。今でもJFEスチールとして残っているが、かつての日本鋼管という会社の工場にちなんで名づけられた通りだ。往時は、工業高校を卒業して、日本鋼管の工員となり結婚して子供を作り、毎週日曜日には近所の中華料理屋で家族みんなで食事をする、というような人生のコースがあったのだ。

そうこうするうちに鶴見線、南武支線の連絡駅浜川崎にたどりついた。さみしい駅前だ。この時間帯電車は1時間に1本〜2本という感じだが、調べると鶴見線がまさにどんぴしゃのタイミングでやってくることがわかったので、そちらのホームに急ぐ。[浮島バスターミナル(停)〜浮島町公園〜夜光〜池上町〜浜川崎駅(11.3km)[地図]]

鶴見を経由して川崎に出た。タリーズで、エスプレッソスワークル。ストローから吸い込む氷の細かな粒が口の中に広がる。

[散歩日和]2010-08-21

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IMGP1547

いやほんとうに。この人間はなぜずっとこんななんだろうと、あきれたり、やりきれなくなったりすることもあるが、まあそのことはおいておこう。とにかく、ぼくは地下鉄江戸川橋駅から地上に出た。

いつもなら先に食事をすませてしまうのだが、今日は観劇の予定があるので、まず歩くことにした。それ以前に江戸川橋ではあまり選択肢がない。

まず小日向の小高い丘にのぼる。階段や車が通れない細い道が多く、周囲の喧噪と隔絶した感のある静かな住宅地だ。つがいのチョウが求愛のダンスを踊りながら飛び回っている。英語では butterfly でなく skipper と呼ばれる地味な羽色のセセリチョウ科のチョウだ。一羽がぼくのかばんにとまりそれをおいかけてもう一羽が隣にやってくる。最初の一羽はぼくのシャツに移動し、それをさらにもう一羽がおいかける。ぼくはすっかり若い恋人たちのだしに使われていた。『巴里のアメリカ人』の中年歌手アンリのような役回りだ。

小日向の坂をおりるとすぐ対面に目白台の坂。のぼると東大病院の分院がある。不忍通りを渡ると雑司ヶ谷で、もはや池袋の懐に抱かれたようなものだ。池袋の懐を、中心部に近づかないままどこまでもどこまでもずりずりと進んでいき、山手線の線路を越え、東武線の北池袋に近づいたところで、時間をみると、もうそろそろやばい時間になっていた。ふだんだと、こういうターミナルからの一駅の中途半端な場所で散歩を終えることはあまりないのだが、今日は北池袋でうちどめだ。[江戸川橋駅〜北池袋駅(6.8km)[地図]]

東武線とJR埼京線を乗り継いで渋谷へ。新南口から出て、近くのサンクスでチケットを発券してもらう。食事の時間がないので、ついでにビタミン入りのゼリーも買う。渋谷の中心部から離れた新南口だが、青山方向にいくには意外と便利で、あっという間に青山円形劇場にたどりついた。主人公の役名がアンリの英語読みヘンリーだった。

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原作:Graham Green、脚色:Giles Havergal(翻訳:小田島恒志)、演出:松村武/青山円形劇場/指定席6000円/2010-08-21 19:00/★★★

出演:段田安則、浅野和之、高橋克美、鈴木浩介

8月観にいく芝居が一本もないなと思っているところに、フライヤーをみて、タイトルと、四人のそれぞれ個性的な俳優たちにひかれて観にいくことにした。

銀行に長年勤めて早期退職したヘンリーの唯一の楽しみは庭のダリアの花。母の葬儀の日、そんな彼の前に長年音信不通になっていた叔母オーガスタがあらわれる。自由奔放な彼女に翻弄されて世界各国を飛び回り、ヘンリーの人生は変わる。

鈴木浩介が眼鏡はずすと最初誰だかわからず、往年のケイリー・グラントみたいな二枚目だと思ったが、その印象はある意味あたりで、ケイリー・グラントが主演してヒッチコックが監督しそうな物語だった。主人公ヘンリーは4人の俳優で代わる代わる演じられる。その演出がリズミカルで面白かった。オーガスタを服装は男のままで一人で演じた段田安則もよかった。

ゆっくりと人生が幕をおろそうとする時期に、まったく予期していなかった新しい人生が開ける。思春期に誰しもがボーイ・ミーツ・ガールの物語を夢見るように、ある程度年齢のいった人間が夢見る夢物語かも知れない。それにまんまと勇気づけられてしまったということは、ぼくもだんだんそういう年齢に近づいているということかもしれない。

夜間飛行 (光文社古典新訳文庫)

20世紀に入って電気が都市の照明に使われるようになり、闇が光で満たされるとのと前後して、飛行機が空を飛び始める。しかし、これら二つの神秘の領域、夜と空が重なる、夜間の空は、長い間未踏の領域だった。この小説は、1930年前後、まだ危険だった夜間の空を、郵便機に乗って飛んだ、いわば開拓者たちの物語だ。

学生時代に新潮文庫版を読んでから、長い年月をおいての再読。新潮文庫版は、長編第一作の『南方郵便機』が併録されていたので、印象がごっちゃになっていたが、こうして『夜間飛行』だけあらためて新訳で読み返してみると、構成のシンプルさ、力強さに驚かされる。そして何よりも、比喩が際立った文章がすばらしい(訳もいい)。一文一文を大事にもれなく読みたくなるような感じなのだ。

学生時代、この本を読んで、感想文らしきものを書いたのだけど、確か、プロフェッショナルな職業意識からうまれる責務の感情を、尊いものとして肯定的にとらえようとしていた。個人が個人として、ある種の気高さを身につけるにはどうすればいいかということの答えがそこにあるような気がしたのだ(それは連帯や忠誠という窮屈な道徳からは得られない)。視野が狭く、文章もかなり稚拙だったはずだが、その論旨は間違ってなかったといまさらながら思う。

主人公の一人、郵便機会社を経営するリヴィエールは、たった一度のミスも容赦しない、自己にも他人にも厳格な男だ。自社の航空機が嵐で遭難するという難局のさなか、彼は、(「野外音楽堂のあたりを散策するささやかな街の民」という言葉で代表される)市民的な幸福や、愛を犠牲にしてまで、自分たちを駆り立てている責務は何なのかと自問して、それは優しさの一種だけど、ほかのどんな優しさとも異なっているという。それは、「永遠」への責務、つまり自分の身体や精神が滅びても残り続ける何かを求めるということだ。

このあたり最近読んだマイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』にも通じるが、サンデルのようなコミュニタリアンなら、その「永遠」を国家や民族や宗教に関連づけようとしてしまうだろう。だが、それはいわば「過去」に対する責務だ。だが、本書でいわれている責務のベクトルの方向は真逆で、「未来」を向いている。それはチェーホフの戯曲にも共通する、「未来」の人々のためにたくさん働くことを正義とする考え方だ。ぼくは、今でもそれこそが美徳であり、「善き生」だと思っている。たぶん、昔感想文でいいたかったのもそういうことだ。