あれから一年が経過したわけだ。その間に世界はどれだけよくなった、あるいは悪くなったのだろうか?テロとの戦争というものが目的と裏腹にどんな効果をもたらすかは、言葉を連ねるより、September 12thというゲーム(というよりシミュレーション)の方がわかりやすく伝えてくれる。
イラク戦争によって、アメリカは、テロリストという敵に何トンもの大量の塩を送ってしまった。この場合の「塩」というのはルサンチマンのことで、テロリストのいわば主食であり、のどから手が出るほどほしいものだ。それをただでくれてやるとは、アメリカは何と太っ腹な国なのだろう。
その分、アメリカとそれに同調する国々が失ったのが「正当性」だ。もともと確かな証拠のなかった大量破壊兵器は結局見つからないままだし、その次に持ち出したイラクの民主化もなかなか進んでいない。「民主主義」というのは手段であって目的にはなりえないものなのだ。確かに民主的に選ばれた政府には、王権神授説よりも強固な正当性が生まれるので、暴力による闘争を抑止できるという意味で民主主義はすぐれた制度なのだけど、必ずしも民主主義によって選ばれた政府が優れていることは保証しない。それに民主主義が成立するためには各人が入替可能な存在―この場合なら同じイラク人であるという意識の共有が不可欠だ。ところが強権により国をまとめていたフセイン政権が崩壊するとともに「イラク人」という概念も崩壊して、それぞれクルド人、シーア派というようなばらばらのカテゴリーに分解されてしまっている。そういう状況で、はいお待ちかねの民主主義をどうぞ、といって受け入れられるものではない。こうして得られた実りは限りなくゼロに近く、ただ「正当性」の負債だけが残るような状況になってしまっている。
日本の自衛隊が今イラクでやっていることは、確かに「支援」なのだけど、軍隊を出すということは、形式的にはテロとの戦争への「参戦」にほかならない。つまり、「参戦」という名目で、実質は支援活動をしているわけだ。それはアメリカの負債を肩代わりする行為なので、当然大きな危険を背負うことになる。現地に派遣されている自衛隊だけでなく、日本に住むぼくたちもまたテロリストの攻撃の対象になりうるわけだ。はたしてそれは引き受けるべき危険なのだろうか。引き受けることで、世界はよい方向に向かってゆくのだろうか。
ぼくはそうは思わない。自衛隊がイラクでやっていることは結局不慣れな土木工事に過ぎないのだ。非効率にならざるを得ないし、最大限力を発揮したところで、きわめて限定された地域にきわめて限定された効果しかもたらしようがないだろう。そのためにぼくは自分の命を危険にさらしたくないし、他の誰かが傷つくのもみたくない。
やらなければいけないのは、返済不可能なくらいまでふくれあがった負債を肩代わりすることではなく、いっそ自己破産させてしまうことではないだろうか。アメリカは何らかの形で自らの誤りを認める必要がある。それはイラクから撤退することを意味しているのではなく、アメリカはむしろ新たに「イラク人」と呼ばれる人たちが生まれるまで責任をもってとどまるべきだと思う。ただし黒子としてだ。今ようやく国連を中心としたスキームに移行し始めているようだけど、そのままでは以前そうだったように、攻撃の対象が国連にまで拡大するだけなので、テロリストからルサンチマンをとりあげ、正当性を取り戻すための、明確な仕切り直しが必要だと思う。そのために日本にできるようなことがあるような気がするのだ。ちまちました土木工事はそのあとでいいだろう。

コメントする