イラク拉致事件

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ずいぶん時間がたってしまったが、この件を片づけないと先に進めない。元の文章には感情的な部分やひよった部分があるので、あらためて書いてみる(2004-04-30)。

この事件の報にふれてまず感じたのは、不注意だな、ということだ。次に、要求が自衛隊の撤兵だというのをきいて、困ったな、と思った。自衛隊がイラクにいなければならない理由なんて何一つなかったのだが、テロリストの要求はのめないということで、ひとつ理由ができてしまった。そうぼんやり感じている間に、いつの間にかどんどん世の中は「自己責任」という論調でかためられていってしまった。

今回の件で、直接的責任は、彼らを拉致して筋違いの要求を日本政府につきつけた武装勢力にある。それ以外は被害者たちの責任をふくめてすべて間接的、確率的な要因だ。イラクに行けば必ず誘拐されるというものでもあるまい。むしろ戦闘の巻き添えで死んでしまう可能性の方が大きいかもしれない。今回の行為にどこまで自己責任が問えるかというのはそもそもとても微妙な問題なのだ。

お笑い漫画道場の人が、「反日分子」という名言を吐いたが、政府の意向に従わないのは反日でもなんでもない。政府は国の一機関に過ぎず、立法府である国会が定めた法を犯さない限りは、少なくとも赤の他人にとやかくいわれる筋合いのないことだ。ただし、政府はそういう意向に従わない人たちでも救出する義務がある。それを理不尽とみる議論もありうるが、政府は「国」というひとまわり大きいものには従わなくてはいけない。その国の主権者である国民には当然、政府に好意的な者とそうでない者がおり、両者は公平に扱わなければならないのだ。

バッシングは常軌を逸していた。中には、検討に値すべき議論もあったのかもしれないが、感情的な反感の洪水に埋もれてしまった。バッシングに反対している側からは黙殺されるし、バッシングしている側からは単なるコピペの材料にされてしまっただけだった。たとえば、自己責任の程度に応じて費用負担せよという論(自己負担論)はある意味正論といえるだろう。ただ個人的にはこの場合の自己責任の程度は著しく低くなると思う。

バッシングがこれほどまで盛り上がった理由は、いくつか考えられるが、結局のところよくわからない。ただ、日本は左右の対立が激しい政治的な国だということをあらためて痛感した。両者の間には、イスラエル人とパレスチナ人のような激しい感情的対立があって、冷静な議論は不可能なのだ。今回の件はその溝をさらに広げてしまったようだ。

自作自演説は論外(参考:「イラク日本人人質事件・被害者自作自演説疑惑」の「根拠」を検証するページ)だが、先入観をもってビデオをみるとそう見えてしまうのも確かだ。そう見えた人を責めても何もならないだろう。ただ、そういう情報に的確に接するためのリテラシーをもってほしいと願うだけだ。

被害者たちは結果として一部の人たちに迷惑をかけた。それに対しては礼儀として謝意を示すべきだろう。でも、それは彼らがイラクに向かった目的を否定することにはならない。それはまた独立した問題なのだ。ぼくは今はまだその目的をあまりよくは知らないし、その目的の善し悪しをここで詮索することはしない。それは究極的には彼らの内面の良心の問題だからだ。

危険とわかっていても、世界中からさまざまな立場の人がさまざまな目的でイラクにやってくる。その流れをとめることはできないし、全体としてみればそれはイラクの人々の利益、世界全体の利益にかなっているのだと思う。その中にはたまたま日本の国籍をもっている人もいる。それだけの話だ。

「蟹は自分の甲羅にあわせて穴を掘る」(宮沢章夫さんの不在日記2004/04/18より)。

コメント(3)

『何せ、根拠どころか状況証拠とみなせるものすらひとつもないのだ』
不自然なビデオだと思っていたのですけど。そう思われなかったのですね。
ふーん。

そうそう。まさにそういう感じのばかりでした。適切な例のご呈示感謝します。

イラクの武装集団も、ビデオ撮って脅迫するぐらいしか、やること残ってないんでしょうな~。

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