300円で買ったもの

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駅のすぐそばだと思っていた酒屋はことのほか遠くて、しかもすでに閉まっていた。踵をかえすとはすむかいのマンションの前で男女が抱き合っている。背は高いが、もうあまり若くない男の首に腕をまきつけている女は、こちらからは後ろ向きになっていて顔や年齢はよくわからない。キスを交わしていたが、たぶんどちらの息にも大量のアルコールの臭いが混じっていただろう。見ているだけで酔っぱらいそうだった。

ふたたび駅に近づいたところで、酔って顔を赤くした白髪交じりの男に声をかけられた。「中央林間」というから道を尋ねたいのかと思ったが、中央林間は東京の真ん中のその駅からは果てしなく遠い。いや、中央林間まで帰りたいのだが、定期券を落としたので、お金を貸してほしいという。よくある寸借詐欺の手口だが、請われた金額は200円か300円。しかも男の様子は少なくとも寸借詐欺の常連のようには見えなかった。男にはある種のダメさが漂っていたものの、それが通行人から200円か300円という少額を請うてしまうダメさなのか、定期をなくしてしまうダメさなのか、どちらか判断できなかった。

ぼくが200円ならといいかけると、男は300円にしてくださいと、憐れみがましい声をだした。結局300円で交渉成立。

もちろんこれが寸借詐欺だった可能性は低くない。300円という額ならぼくのように払ってあげてもいいと思う人は少なからずいるはずだし、酔客の多い場所でやれば成功率も高いだろう。しかも親切な人で、ちょうど100円玉を切らしていたりしたならば、500円とか1000円をあげるひともいるだろう。思ったよりうまい手口なのかもしれない。

別にそれでもいいと思った。酒の代わりに、ぼくは、その男から300円でこのネタを買ったのだ。

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