靖国はイデオロギーにまみれた場所です。そこで行なわれる行為はなんらかのイデオロギー的な意味づけを持たざるを得ません。イデオロギーなんて関係ないなんて無知を装ったり、強弁したりしても、それこそがもっともイデオロギッシュな行為にほかなりません。意図的であるなしにかかわらず、そこでなされた行為がもたらすイデオロギー的な意味づけは、自ら引き受ける覚悟が必要です。もし、その覚悟がないのなら、その行為をしてはいけないのです。
さて、今回はその靖国が、イデオロギーの呪縛から脱し、誰もが心おきなく訪れることができる場所になるためには、何を変えなければいけないか、ということについて考えてみました。
基本的に変えなければいけないことはひとつです。ただそのひとつの変更と整合性をとるためにあわせて見直さなければいけないことがいくつかあります。それについては終わりの方でふれます。
まず結論を書いてしまうと、「軍人、軍属の戦死者だけでなく空襲などによる民間人の戦没者もあわせて祀る」ということです。その背景と目的を述べていきたいと思います。
さて、戦争の死者のうち軍人、軍属だけを特別扱いするのは別におかしなことではありません。諸外国でもふつうに行なわれていることです。国家というのは、おおむね、封建体制→絶体王政→(比較的民主的な)国民国家というふうに進化(?)してきてますが、これは戦争に勝つために進化を余儀なくされたという側面があります。つまり一部の階級の人間だけが戦う封建体制より、国民全体がいやいやでなく自主的に戦いうる国民国家の方が圧倒的に戦争に強いわけです。このように国家と戦争はきってもきれない関係にあります。そういう意味で、国家は常に戦死した軍人・軍属を「顕彰/追悼」し続ける必要があるわけです。今、「顕彰/追悼」とペアで書きましたが、軍人・軍属を対象とする限り、この二つは一枚のコインの裏表のように分離できない関係にあります。兵士を選択的に祀るということの中に不可避的に顕彰という意味が含まれてしまうのです。
この「顕彰/追悼」は、戦争に勝ち続けている限り(少なくとも大きく負けない限り)は問題なく続けることができますが、無条件降伏に近い大きな負け方をしたときに壁にぶちあたります。つまり、戦死者をほめたたえるのが困難になるのです。論理的に考えるならば、対外的に軍人・軍属は糾弾される立場になりますし、対内的にも敗北の責任を問われてしまうからです。ただし、通常そういうケースでは体制が一新されるので「顕彰/追悼」はリセットされることがほとんどでしょう。日本が太平洋戦争で負けたときが特殊でした。過去の体制や人材を引き継いで、その上に接ぎ木のように新憲法と民主主義を重ねたのです。それには好都合な面もありましたが、戦争の位置づけをあいまいにしたせいで、結果的に不発弾のような形で戦前の軍国主義の残骸を残す形になってしまいました。靖国もそんな残骸のひとつです。
靖国が従来通り「顕彰/追悼」を行なおうとした場合、たぶん次の二つの理由付けが考えられると思います。ひとつ目は、国家のために命を捧げることそのものがすばらしいのであって、結果はどうでもいいとするものです。これはほぼ戦中にとられていた考え方ですが、戦争の被害の記憶が生々しいときに説得力をもたせるのは難しいです。もうひとつが、戦争には負けたけどなんらかの義は残る。その義のもとで死者を顕彰するという方法です。具体的には、大義がある自衛のための戦争だったという形で、ひとつの悲劇としてまとめあげます。こちらに関しては、どんな戦争でもどちらの側にも大義はあるわけで、その大義のもとで人々が豊かで安定した生活を築けているかどうかという結果論で判断するしかありません。そうするとやはり敗北という事実は重いです。しかも、そのために国内で310万、国外で少なく見積もって2000万人の死者を出していることを考えれば、そこに義を見いだすことは、ひとつめの国家に対する犠牲そのものを顕彰することより難しいような気がします。しかし、靖国は、一貫してこのうち後者のスキームをとってきました。具体的には、境内にある遊就館という施設で行なわれている日中戦争、太平洋戦争(靖国の用語では大東亜戦争)に肯定的な展示と、1978年になされたA級戦犯刑死者の合祀(ちなみにBC級刑死者についてはそれより早く1959年に合祀されています)がそれにあたります。これらは単なる靖国運営者の趣味ではなく、顕彰を可能にするという必要に迫られてのものです。
さて、話をもとにもどすと、今回提案しているのは民間人の戦没者の合祀です。目的は、「顕彰/追悼」のペアのうち、「顕彰」をはずして「追悼」だけにするということです。民間人が加われば、「顕彰」という意味づけはかなり薄くなります。上で、国家と戦争は切っても切れない関係にあり、国民の犠牲の顕彰/追悼が必要になると書きましたが、新憲法が発布されたとき、日本人はいち早く、その犠牲の義務を免除されました。ある意味「顕彰/追悼」のうちの追悼は過去の死者のため、顕彰は未来の死者のためのものです。未来の戦死者が出ないならば、顕彰の必要はないのです。
そうすれば、靖国が過去に果たした、国家のために死ぬことを讃え戦意を高揚させるという象徴的な役割も徐々にほんとうの意味で忘れられてゆくでしょう。また、顕彰をはずすことにより国家神道と決別できれば、宗教色もあまり問題にはならなくなるでしょう。
さて、目的が追悼だけになれば、太平洋戦争を肯定したり、A級戦犯を祀ることは自然と不要になるはずです。A級戦犯についていえば、もちろん戦争(およびその敗北)は彼ら「だけ」の責任ではないでしょう(しかし当然ながら彼らには大きな責任があったのも間違いないところです)。責任を彼らだけにおしつけ、その他の兵士、国民、天皇などがむしろ犠牲者として免罪されたのは一種の虚構です。でも、それ以外にありえた決着の中では、一番犠牲の少ない形だったのではないでしょうか。その虚構を受け入れて、今の日本という国の形があるわけです。そしてその虚構はこれまでのところそれなりにうまくいってきたと思います。もし、A級戦犯の刑死者たちだけに罪を押しつけて申し訳ないと思うならば、心の中で礼をいえばいいのです。表だって祀り上げてしまえば、それこそ彼らの死が無駄になってしまいます。
戦争が終わってから今までに長い時間が過ぎ去りましたが、その時間はむしろ靖国のイデオロギーを維持することに費やされてきました。特にこの数年はそうでした。このエントリーを書くために参考にした坪内祐三『靖国』という本は、靖国に好意的な視点で書かれてはいますが、靖国という空間の多様な魅力を伝えてくれるいい本です。そこに描かれている開放感をイデオロギー抜きで味わえる日が来るのを待ち望みながら、ちょっぴり長くなってしまったこの文章を終えたいと思います。
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