以前から注目している黒沢清監督の映画なのでみなければ思っている間に、いつも読んでいるいくつかのブログでとりあげられて、そのたびにその記事だけ見ないようにするのも、そろそろつらくなってきたので、ようやく重い腰を映画館のシートに埋めた。
リストラされたことを家族に言い出せない父(香川照之)、米軍の外人部隊に入隊するという長男(小柳友)、隠れてピアノを習う次男(井之脇海)、そして密かに虚無感をかかえる母(小泉今日子)の4人家族の物語。20文字で要約すると「崩壊しかけた家族が再生するホームコメディ」ということになってしまうんだけど、それだとこれまでの黒沢作品をホラー映画と呼んでしまうのと同じような違和感を感じる。
まず最初に思ったのが、これは一昔前の話ではないかということだ。中高年のリストラが騒がれたのはもう10年近く前のことだし(しかも実際もっともしわ寄せを受けたのは巷談されていたような中高年ではなく若年層だった)、父親の子供に対する権威主義的な態度も今となっては少数派だろうし、母親が専業主婦というのもちょっと前の典型的な家族像を再現しているような印象だ。
そこに普遍的なリアリティを与えているのは、実は一見荒唐無稽に思える長男の米軍入隊のエピソードではないかと思った。それによって時間が反転して、すべてが近未来の出来事のように思えてくるし、息子を言葉で説得することができない父親の姿によって、コミュニケーションの不在という、この家族、そして日本社会全体がかかえる問題があぶりだされてくる。
そういう前振りがあると、そのコミュニケーションを回復させるような出来事を発生させて、家族の絆を再生させるというストーリーをつい想像してしまうけど、さすがは黒沢清で、予想もつかない展開が待ち構えていた。ある一夜、戦場にいっている長男をのぞいた家族三人はばらばらに引き離されて、それぞれいったん死の領域に入り込んでそこから蘇るような経験をする。つまり再生するのは家族という共同体ではなく、それぞれの個人なのだ(長男もまた現地の人々との触れあいにより一面的なドグマから解放されてより広い視野を得たことが手紙で語られる)。
最後は実は生まれついてのピアノの天才だった次男が演奏するドビュッシーの「月の光」と立ち去る親子三人にふりそそぐやわらかな光で閉じられるのだけど、なぜかカフカの『変身』のラストみたいな感じがした。巨大な虫に変身したグレゴール・ザムザが死んだ後、解放された父、母、妹3人で外出するシーンがあるんだけど、何とも不思議な明るさとともに描かれているのだ。この映画にあてはめると、巨大な虫のように形骸化した家族の殻をいったん脱ぎ捨てて、これからは奇跡的にあらわれた音楽の力を使って新たな関係を築いていくという希望が、表現されていたのではないだろうか。
いつもの黒沢清の映画だと圧倒的なパワーを見せつける超自然的な存在がでてきて、どちらかというと人間に害をなすんだけど、今回それがピアノで、人を幸福にする方向に働いたような気がする。

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