演劇ノートの最近のブログ記事

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作・演出:池田鉄洋/下北沢本多劇場/指定席4500円/★★

出演:佐藤真弓、いけだしん、村上航、岩本靖輝、菅原永二、池田鉄洋、伊藤明賢、佐藤貴史、柳沢なな、佐藤雄一、中山祐一朗

ちょうど3ヶ月ぶり、4月のザ ワーストに続いての表現・さわやか。今回も、ほぼ新作はなく、これまでのコントの傑作集だ。前回とちがって、ぼくが見るようになってからのコントがほとんど。エロスダンス、山崎春のパン祭り、ファミレスの河童、モンドセレクションなどはほんとうに傑作で、また見ることができてよかった。

ただ、まだ記憶が鮮明すぎて、個人的には、ちょっとインパクトが弱く感じた、というのも事実。あと、中山祐一朗は器用な人なので、もう少し上手に使えたんじゃないかな。

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作・演出:村上大樹/吉祥寺シアター/指定席3500円/★★★

出演:加藤啓、千代田信一、伊藤修子、成田さほ子、山岸拓生、寺部智英、石川ユリコ、林屋聖子、溜口佑太朗、村上大樹 、町田カナ、建みさと

どうやら劇団というものは同じポジションに留まり続けることは不可能で、よりメジャーで一般受けする方向に進んで、チケットの値段を徐々につりあげてゆくしかないらしい。それができなければ、求心力が失われてしまうようなのだ。

拙者ムニエルも結成15周年ということだが、明らかに前者の方向には進んでない。前回公演から10ヶ月、間があき、次回の公演予定もちらしに記載されていなかったのは、まさに求心力の低下を示しているのだろう。

だが、今回の公演はかなりおもしろかった。3話からなるオムニバス。

第1話。35歳にもなって演劇の夢を追いかけている男と、その夢をサポートするためにパートで家計を支える妻、そして子供の3人家族のもとに見ず知らずの老女が3億円をあげるといってくるが、妻は妙なプライドからそれを拒否する。

第2話。ロト6で2億円あてた男。彼は銀行から、元銀行員の人の心がよめるATMロボットミズホ君を与えられる。

そして第3話。道に落ちていた毒入りアンパンを食べたせいで、余命1週間を宣告された男。彼の最後の夢----演劇の舞台に立つこと----をかなえるため仲間たちを含めて準備を進めるが......。

笑いのパワーはぜんぜん落ちてない。またみたい。

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作・演出:岩井秀人/こまばアゴラ劇場/自由席2800円/★★

出演:金子岳憲、有川マコト、岩瀬亮、小熊ヒデジ、斉藤じゅんこ、坂口辰平、永井若葉、岩井秀人

事前情報も先入観もなくはじめてのハイバイ。

リサイクルショップではたらく中年のおばさん(演じているのは男)たちが、その中の一人の、引きこもり気味の娘のために、営業中の店内でお芝居をみせる。その芝居というのが未来の東京を舞台にしたSF巨編(手塚治虫の『火の鳥』がベースらしい)で、その強引なシチュエーション、男がおばさんを演じてそれがまた若い男女を演じるという倒錯、客としてやってきた女性が実はプロの演出家でその場で演出をつけはじめるというエピソードがあったりして、けっこう抱腹絶倒だった。

ところがこれは前半というか、はじまってから1/3くらいで、とことん自由ななんでもあり的な高揚感が最大限に高まったところで、突然おばさんたち二人のリアルな半生記がせつせつと綴られる。いつ笑わせてくれるのかな、次の話がはじまるのかな、と思ってずっと待っていたが、なんとこれが最後まで続いたのだった。

前夜のアフタートークで五反田団前田司郎さんから、前半、後半どちらかを切った方がいいといわれたそうだが、完全に同意だ。前半と後半はほとんど別の芝居をみているようだった。昭和の頃、テレビで流された素人の半生を再現するドラマみたいだったけど、後半も展開のさせ方次第では、十分演劇的なパワーをもてたような気がする。

実は、前半の『火の鳥』を最終的に短くきりつめたそうだが、救いは、今日のアフターなんとか(毎回終演後に何らかのパフォーマンスが行われる)で、その部分の完全版を演じてくれたことだ。やはり前半だけみたかった。

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作、演出:松井周/三鷹市芸術文化センター星のホール/指定席3000円/★★★★

出演:辻美奈子(サンプル・青年団)、古舘寛治、 古屋隆太、羽場睦子、吉田 亮、野津あおい、坂口辰平、奥田洋平、山村崇子

松井周の処女作の再演ということだが、初見。

ゴミが入ったポリ袋が舞台とその周囲を取り囲むように設置された客席に積み上げられている。今回の公演のために用意したもので衛生上問題がないということが、強調されていた。

ある家族の物語。事故で性的能力を失った夫と、同級生と不倫関係の妻、そして痴呆気味の夫の母(一度も舞台には登場しない)の三人家族。そこに職を失った妻の兄がやってくる。彼は、母に取り入り、若い男女を引き入れて、母の介護を引き受けるとともに、周囲の雑木林に投げ込まれるゴミをリサイクルする事業を立ち上げようとする。

一種ユートピア的な拡大家族のようになっていき、それだけをとらえるといい話で終わってしまうんだが、自意識をもった人間たち----中心となる夫婦はその中に入り込むことができず、疎外され続ける。しか二人はやすらぎをお互いの中に求めることもできず、自分の殻の中に閉じこもることしかできない。彼らの側からみるとユートピアは完全な悪夢になってしまうのだ。

さらに、そこに異物感のある謎として投げ込まれるのが、妻が所属するコーラスサークルの主宰者がもらす、この家でおきる出来事はすべてインターネットで公開されているという、告白だ。そういって、彼はURLまで残していくんだけど、夫も妻も興味をもとうとしない。もはや、外部の世界にすら逃げ場がないことを示す、衝撃的なエピソードだった。

リアリティと神話的な物語のパワーを兼ね備えた傑作だ。

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作:デーア・ローアー(翻訳:三輪玲子)、演出:岡田利規/新国立劇場小劇場/A席4200円/★

出演:吹越満、柴本幸、鈴木浩介、内田慈、広岡由里子

またしてもマチネー。

海外の同時代の戯曲を日本の若手演出家が演出するシリーズ第3弾。今回はドイツのデーア・ローアーという女性作家の戯曲を、チェルフィッチュの岡田利規が演出している。

パン屋を経営する一家4人、父、母、そして二人の娘。長女は公然と父親から近親相姦を強要されている。彼女は、誠実そうな花屋の店員と知り合い、勇を鼓して、家を出て、彼と一緒に暮らすことにする。しかし、彼女が身ごもっている子供の父親はどちらだかわからない。やがて、子供がうまれるが、それは決して笑うことのない奇妙な顔をした赤ん坊だった。最初、誠実で頼もしそうにみえた花屋の彼も、やがて卑怯でひ弱な本性をあらわにする。

近親相姦という極端な例じゃなくても、家庭生活の中で継続的につけられた傷(肉体的であれ精神的であれ)は、それこそタトゥーのようにへたをすると一生残ってしまうものなのだ。この作品では、それを赤ん坊という形で表現しているのが、救いようのない恐ろしさを感じさせる。

戯曲は、そういう恐ろしさをリアリズムではなく、ミニマルで抽象的なシチュエーションと、日常的な会話の積み重ねで描いてる。その日常性の中にエロティシズムがかいまみえて、さらにその向こうに恐怖があるという感じだ。結構、演出が難しい作品だな、演出家でもないのに思った。今回は、セリフをあえて、抑揚をはずしたり切れ目をいれたりしていて、戯曲の雰囲気にあっているし、悲惨な物語を若干中和していると思ったが、逆に観客の感情移入をさそう、センチメンタルな演技をつけた演出で、一度みてみたい。

ラストは、唐突にして不可解。連れ戻しにくるという父親を迎えうつため、花屋の彼は、長女に拳銃を渡すが、長女はそれを彼に向ける。すると彼の頭に上にりんごがあらわれて、幕。これ、芝居の世界に入り込んでいた観客を現実世界に送り返すための、とても気の利いた方法だと思うけど、それならやはりもっと没入させる演出をとったほうがよかったんじゃないかな。

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作・演出:小手伸也/時事通信ホール/指定席3800円/★★

出演:菊岡理紗、前田剛、戸田朱美、中谷千絵、工藤潤矢、赤松直美、貝塚建、渡部晶子、仗桐安、坂本文子、大沼優記、中山智香子、武智健二、小柳こずえ、加藤和久、小手伸也、石川カナエ、初谷至彦、北川義彦、柳田幸則、小暮絹誉、桃森すもも、MIO、西川小喜

なんと正午からの観劇。頭が冴え渡っている、といえば嘘になる。

innerchild の舞台では現代を生きるふつうの人々を神話の中の登場人物に見立てるということがよく行われる。今回も例外ではなく、子供が欲しくて不妊治療中の夫婦を古事記、日本書紀の国生み神話のイザナギ、イザナミに見立て、さらにその子供たち(アマテラス、ツクヨミ、スサノオ)の世代および邪馬台国の時代の政争をからめている。

他方、イザナギとイザナミの間を仲裁したと伝えられるククリヒメという存在にスポットライトをあてて、彼女を彼らの間のいまだ生まれない子供として再創造している。彼女は、人間に子供をもたらす役目を司る青い鳥たちに翻弄されながら、自分が存在する意味を見つけ出そうとする......。

複雑なストーリーをシンプルな情感にまとめあげる手腕は相変わらず見事。ただ、今回それが成功しすぎたというか、結果的に小さくまとまってしまったというか、ラストは無理にあからさまなハッピーエンドにせず、もう少しいろいろ想像させる余地があってもよかったかなと思う。

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作:細川徹、ふじきみつ彦、シティボーイズ、中村有志、演出:細川徹/新国立劇場中劇場/指定席7000円/★★

出演:大竹まこと、きたろう、斉木しげる、中村有志、細川徹、ふじきみつ彦、春山優

今日から我が社は共産主義です、という宣言で始まるコントなどなど、今回シュールな持ち味が復活して、けっこう楽しめたけど、最盛期にあったような、そのパワーがもっと長い間持続してひとひねり、ふたひねりするようなコントがみたいと思うのは、もうないものねだりなのだろうか。

シティボーイズのメンバーはもうみな60歳前後。今回、体調がよくなさそうな方もいらしたので、ちょっと心配ではあるが、ぜひともまた来年みたいものだ。

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作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ/下北沢本多劇場/指定席6800円/★★★

出演:峯村リエ、山内圭哉、犬山イヌコ、山崎一、水野美紀、みのすけ、大倉孝二、長田奈麻、植木夏十、藤田秀世、廣川三憲、猪岐英人、白石遥

いじめが原因で登校拒否のケンタロウ(11歳)は、窓からみえる動物園の動物たちと、会話をしながら過ごしている。そんな彼を一生懸命守ろうとする家族たち。母がだす黄色いカップの紅茶を飲んだ客たちは次々と音信不通になってゆく。そして、新しくやってきた記憶喪失の家庭教師サクライと狂言まわしの神様を自称するホームレス。ある日、ケンタロウは木刀で同級生をたたいてケガをさせてしまい、同級生の両親がやってくる。彼らはサクライのことをしっていた......。

3時間超の長尺。ナンセンスなドタバタ、ダークなシリアスコメディー、ハートウォーミングなファミリードラマの間を揺れ動いて、どれかひとつの方向で固まりそうになると、それを裏切って別の側面が顔を出すという感じで、それで劇としての統一感が失われているといううらみはあるものの、全然あきさせなかった。ラストもこれまでの流れをすべて裏切るような唐突さで、全体としてスキゾチックな後味を残す不思議な作品だった。

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作・演出:池田鉄洋/新宿シアターブラッツ/座布団席2600円/★★★

出演:佐藤真弓、いけだしん、村上航、岩本靖輝、菅原永二、佐藤貴史、伊藤明賢、イチキ游子、小林由梨、池田鉄洋

座布団席が不安の種で開場後間もない時間に入場したのだが、すでに最前列の席は埋まり、二列目の端の席をどうにか確保。身体を壁に押しつけてあぐらをかいて座ったら、二時間近くの間ほとんど苦にならなかった。座布団席は端の席、これ基本。

いままでの公演から「稽古はしたがボツになった幻のコント」や「過去の公演から苦笑が著しかったクズコント」を集めたとのことだが、ぼくは過去5回の公演中最近の3回しかみていないこともあってか、ほとんどはじめてみるものばかりで、かなり新鮮に感じたのだった。以前みて、くどいと感じたものも、微妙にブラッシュアップされていて、かなり笑えるコントに仕上がっていた。

ワーストと銘打っているのでワーストを挙げると、歌舞伎の名門一家が休暇で温泉旅館にいくのだが、大きな日本間や日本庭園をみると、いきなりみんな稽古をはじめてしまうという、ワンシチュエーションコント。なぜか今日来ていた観客には人気があって、はじまったとたん歓声があがって、夢中になって笑っているのが、不可解。

ワーストだけでは片手落ちなので、ベストも紹介する。街頭で「神はいる」というプラカードを掲げている女性二人の前にキリストの格好をした男性がやってきてオープンカフェに入ってゆく。DSや携帯電話をもっていて、現代的なのだが、DSの故障を奇跡でなおしたり、パンとワインを注文し、ワインを飲み干してもすぐにまたいっぱいになったり(もちろん実際は吐き出しているのだけど、これがおかしい)、いかにも復活したキリストのようだ。やがて、その男は彼女たちのそばにやってきて、ワインとパンを渡し、あなたはわたしを三度知らないというだろう、という聖書の中の有名な言葉をつぶやいて立ち去る。しばらくすると、オープンカフェの店員が戻ってきて食い逃げされたと毒づく......。そこからあとは想像できると思うけど、思わず「うまい!」とひざをうってしまいたくなる話だった。

また7月にも公演があるので、楽しみだ。

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作:ローラント・シンメルプフェニヒ(翻訳:大塚直)、演出:倉持裕/新国立劇場小劇場/A席4200円/★★★

出演:松重豊、七瀬なつみ、日下部そう、ちすん、西田尚美

寝坊できないのでマチネーはあまり好きではないのだが、ほかに選択肢がなかった。今年は例年になくマチネーが多い年になりそうだ。

前の席は両親にはさまれて小学校低学年男子。おとなしくしていたけど、さすがに今日の芝居はつらかったんじゃないかな。理解できたとしたら逆に怖い。

シンメルプフェニヒという絶対覚えられそうにない名前の持ち主は、1967年生まれの、現代ドイツの劇作家。

引っ越し準備中の三人家族(結婚19年目の夫婦フランクとクラウディア、十代後半の息子アンディ)の家に、24年前夫と恋愛関係だったという女性ロミー・フォークトレンダーが訪ねてきて、永遠の愛を誓った約束を果たせと迫るという、映画でいうと『隣の女』や『危険な情事』を彷彿とさせるような一見古典的なストーリー。だが、時間を自在に進めたり巻き戻したりする手法は斬新だし、ユーモアが物語の案内役としてひっぱってゆくのも現代的だ。

心理サスペンスやサイコホラー的なじわじわと迫る恐怖を想像していたが、もっとフィジカルで直接的な恐怖だった。西田尚美演じる「昔の女」は内面的な狂気をはらんだ存在というよりは、確固とした意志に貫かれた復讐の女神的な存在だし、その標的となった家族たちも心理的に破滅するのではなく、物理的に破滅するのだ。

「復讐」と書いたが、それは男たちの忘却に対する復讐だ。アンディもまた、彼の恋人ティーナに対する将来の忘却の罪を、事前に罰せられるのだ。ティーナは、目撃者として、彼らの破滅を見守る。それは、ティーナの復讐でもある。

それまでユーモアで軽快にシーンが展開していただけに、クライマックスの破滅の描写がとにかく圧倒的ですばらしかった。

海外の同時代の戯曲を日本の若手の演出家に演出させるこの企画、新奇なものに触れられて単純におもしろいし、日本の演劇をおもしろくするためにとても効果的だと思うので、これからも定期的にやってほしい。

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作・演出:ブルースカイ/ザ・スズナリ/指定席3800円/★★★

出演:池谷のぶえ、粕谷吉洋、喜安浩平、小村裕次郎、高田郁恵、原金太郎、松浦羽伽子、三浦俊輔、安澤千草、吉増裕士

昔猫ニャーという劇団があった。ナンセンスな笑いが身上で、その当時全盛期だったナイロン100℃の亜流的なポジションだったけど、ナイロンがシリアスさや主流演劇のエッセンスをとりいれて、いわばお金の取れる芝居の方向に進んでいったのに対し、猫ニャーは、チープで脱力した笑いにこだわり続け、ついには解散してしまった。でも、「ばかげた」という言葉をほめ言葉として使えるのはこの劇団だけだったと今でも思う。

猫ニャーの台本、演出を担当していたのはブルースカイというふざけているのかまじめなのかわからない名前の人で、解散の時にもう演劇はやめるといかいっていたので、その才能を惜しみつつも、彼が演劇を続けていく上での苦労がうかがい知れるような気がして、その新たな人生を祝福してあげたい気持ちだった。

さて、そのブルースカイがまた演劇の世界に帰ってきているという(というか完全には抜け切れていなかったようだ)。猫ニャー解散後、自分の名前を前面に出した作品としては二作目にあたる本作のチラシを見かけて、これは見なくてはと思った。

パラダイス劇場という公開処刑場を親から引き継いだ貧しい兄弟。一時期は花形の娯楽だった公開処刑もいまでは閑古鳥がないて、次の処刑者でもう何年もここにいる連続放火魔の男からも同情されてしまう始末。そこに魔女裁判で有罪になった新たな処刑者がやってきて、彼女を助け出そうとする息子が、パラダイス劇場に潜入するため、処刑のチケットを売るため世界を巡る......。

いやあ、変わらない。それはよくも悪くもという意味で、中だるみは当然のようにあったりもするわけだが、それを含めても、十分おもしろかった。いろいろ大変かもしれないけど、これからも続けてほしいと思ったのだった。

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作・演出:青木豪/青山円形劇場/指定席4300円/★★

出演:高橋理恵子、中野英樹、平田敦子、みのすけ、萩原利映、遠藤隆太、杉山文雄、安藤聖、辰巳智秋

時代から取り残された汚らしいアパート。その一室でちんどん屋の一行が偶然住人の死体を見つける。その死は自殺として処理される。しかし、彼女(死んでいたのは若い女性だったのだ)の大学時代からの友人で、売れないシナリオライターである菊池は、その死に疑問を持ち、家族や職場の人間関係を調べ始める、というかほとんど想像で補いながら、彼女の死をシナリオに仕立てようとする。まるで吸血鬼のように彼は彼女が残した血をすすりつくそうとしたのだ。

それでも彼は一応真相にたどりつくのだが、それはワイドショーで取り上げられるようなとてもありきたりな真相だ。失望しかけたところで、彼の前に亡くなったはずの彼女があらわれて、彼を非難し、物語は唐突に劇が始まった最初の時間、ちんどん屋が死体を発見するところにまき戻る。ただし、そこから始まるのは別の物語、いわばパラレルワールドの物語だ。

はじめてのグリングだが、今日みたところでは、これぞグリング、青木豪というスティグマのようなものを見つけ出すことはできなかった。現代に生きるふつうの人々を等身大に描いている感じで、ほどほどの笑い、ほどほどの感傷、ほどほどの逸脱。でも、その間のバランスがよくとれているとは思った。

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作:ルイジ・ピランデッロ(英訳:トム・ストッパード、日本語訳:小宮山智津子)、演出:白井晃/シアタートラム/指定席5000円/★★

出演:串田和美、秋山菜津子、千葉哲也、白井晃、長谷部瞳、中山夢歩、櫻井章喜、反田孝幸、大林洋平、佐藤卓、池田六之助

予備知識なしでいったので、以下に書くことはすべて劇場で配られたリーフレットや Wikipedia の受け売り。

ルイジ・ピランデッロは1867年に生まれ1936年に亡くなったイタリアの劇作家。ノーベル文学賞を取っていて、いわばイタリア現代演劇の父でもいうべき人だ。『ヘンリー四世』は彼の1922年の作品で、今回上演するのはそれをトム・ストッパードというイギリスの劇作家(『未来世紀ブラジル』など映画脚本にも携わっているらしい)が翻訳・構成したものをさらに邦訳したもの。

ヘンリー四世というとイギリスの王様の話かと思ってしまうが、11世紀の神聖ローマ帝国(ドイツ)皇帝ハイリンヒ四世のことだ。ハインリヒは英語読みだとヘンリー、フランス語読みだとアンリ、イタリア語読みだとエンリコなのだ。固有名詞の呼び方を変えるのは違和感あるが、あちらの習慣なので仕方がない。トム・ストッパードの英語版のテキストに基づいているので本公演では「ヘンリー」で通されている。この一文でも、それを踏襲しよう。

さて、ヘンリー四世だが、彼を有名にしている歴史上の出来事はいわゆるカノッサの屈辱だ。当時、聖職者の任命権をめぐって教会と国家の間に争いがあり、ヘンリーは強引に司祭の任命を行うが、諸侯から背かれ、教皇から破門されてしまう。せっぱつまった彼は教皇に直談判しようとするが、身の危険を感じた教皇はトスカーナ女伯マティルダの居城カノッサ城に避難する。ヘンリーは懺悔服に身を包み3日間カノッサ城の前の雪中に立ち尽くして教皇の許しをこい、ようやく破門がとかれる。

と、ここまでが前提となる説明。

この舞台は、仮装パーティーでヘンリー四世に扮したまま落馬して頭をうち、自分がヘンリー四世だという妄想にとりつかれた男が主人公。それから20年が過ぎてもなお彼は親族の庇護の元、屋敷を改装し、従者を雇い、妄想の世界に生き続けている。そんなある日、彼の亡き姉の遺言に基づいて、精神科医が彼を治療するため、彼のかつての恋人、その愛人(彼の昔の恋敵でもある)、彼女の娘、彼の甥(二人は結婚を控えている)ともども屋敷を訪れる。彼の妄想にあわせて、それぞれの役割を演じる彼ら。ちぐはぐな問答のあと、彼らは思い思いの感想をいだくが、そんな彼らを彼はあざ笑っていた。そう、彼はすでに8年前、正気に返っていたのだ......。

豊かな虚構と、うすっぺらの現実。前者を選ばざるをえない人間の悲劇といったところだろうか。そして、最後には後者の選択肢を完全になくしてしまう。巧みに構成された物語だ。ただ、ぼくは、現代日本の劇作家のどちらかといえばアドホックな物語に親しみすぎているせいかもしれないけど、こういうドラマツルギーにしっかりと貫かれた作品をみると、ちょっと息苦しさを感じてしまう。もっと自由にいきればいいんじゃないかと、登場人物に声をかけたくなってしまう。

主演の串田和美さんはやはりすばらしかった。あと、白井晃さんをようやく舞台の上でみることができたのもうれしい。

開演してしばらくして、結構年配の男性が席を探している様子で通路を歩いていたのだが、そのまままっすぐ進んで、舞台の上にあがってしまった。一瞬驚いたが、彼も登場人物の一人だったのだ。とてもおもしろい演出だった。

カノッサの屈辱の印象からヘンリー四世を挫折をかかえたまま表向き静かに内面は激しく生きた人間と思いこんで、そこに美学みたいなものを感じていたけど、調べてみたら歴史的にはヘンリー四世はカノッサの屈辱の直後反攻に転じ、やがて、教皇をローマから追い出し、マティルダの領地を奪いとることに成功している。かなり狡猾で、卑屈なことができる人間だったと考えた方がよさそうだ。むしろ人間として興味を感じたのはトスカーナ女伯マチルダの方で、「マティルデ・ディ・カノッサ - Wikipedia」を読んで、もっと詳しく彼女の人生を追いかけてみたくなった。

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作・演出:前田司郎/三鷹市芸術文化センター星のホール/自由席2500円/★★★

出演:川隅奈保子、前田司郎、西田摩耶、後藤飛鳥、大山雄史、菊地明香、折原アキラ、三浦俊輔、立蔵葉子、奥田洋平、齊藤庸介、中川幸子、望月志津子

スーパーのパートをしている君枝は実は探偵で、少年探偵団の主宰だった。といってもメンバーはみんな子供みたいな大人で、団長は米平少年という27歳のフリーター、団員はハトを狩って食料にしているホームレスたち。「善良な宇宙人」という謎の存在が、ホームレスや子供たちをさらう事件を解決するため、彼らは居酒屋かあさんに潜入する......。

あいかわらず、シュールでラジカルな笑い。突発的な笑いじゃなく、くすくす笑いがいつの間にかふくれ上がってゆく。しかも観客一人一人、微妙に笑いのつぼが異なるので、周囲が静けさに配慮して、笑いをこらえねばならず、それがなおさら腹の皮をよじれさせる。

でも、テーマは、人や世界が変化してしまうことに対する恐怖と、その恐怖に向き合うことができないためにうまれる、陰謀論。シリアス。

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作:新藤兼人、演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ/紀伊国屋シアター/指定席5500円/★★

出演:浅野和之、緒川たまき、広岡由里子、近藤公園、すほうれいこ、佐藤誓、大河内浩、玉置孝匡、山本剛史、吉添文子

「しなやかな獣」、「しめやかな獣」......、タイトルがなかなか覚えられなかった。1962年に公開された映画台本が原作。

団地の中の一室。そこに暮らす中年夫婦が、贅沢そうな備品を隣の部屋に隠すところから物語ははじまる。やがて訪ねてくる客人たち。かれらは夫婦の長男が勤める会社の社長たちで、長男が集金の際に横領した100万円をかえしてほしいとつめよる。殊勝に応対する夫婦だったが、彼らがかえったあと、いれちがいに帰宅した長男にさらに分け前を要求する。長女は有名な小説家の妾になっていて、この部屋も、もともとは小説家が彼女のために提供したもので、そこに彼らが強引に棲みついてしまったのだ。彼らはその小説家から搾り取れるだけ搾り取るつもりでいる。

この家族もすごいが、さらに上手をゆくのは、さきほど社長といっしょにやってきた会計係の女性だ。長男からさんざん貢がせたばかりでなく、自分の女性としての魅力をあちこちにふりまけるだけふりまいて、駅前旅館のオーナーになろうとしている。

というように、とにかく悪いやつばかりが出てくるが、陰惨なところはどこにもなくて、全編シニカルなユーモアに貫かれた作品だ。

今回ケラさんらしさを抑制してかなり原作に忠実に描こうとしている感じがしたけど、それだからなのか、かえって登場人物のリアリティーが失われていたような気がする。父親が何度か語るようにこの家族には貧困という共通体験があって、それが彼らを強く結びつけているし、平然と悪に手を染める理由もそこにあるわけだが、今そこにリアリティーを感じるには何らかの補助線が必要なのだ。ラストの破滅の予感も、意図的かもしれないけどちょっと弱く感じた。もうちょっと小道具を駆使したりして、これでもかこれでもかと見せつけてもよかったんじゃないかな。

こういう悪人たちの姿をユーモラスに描けるのも高度成長期ならではだ。彼らは、成長の余剰をかすめとっているだけで、本質的には他人から奪っていない(ひとり破滅に追い込まれる人間はでてくるけど)。今みたいな不況下で悪いことをしてお金を稼ごうとすれば、他人のパイを奪うしかないわけで、どうしても悲惨な話になってしまう。

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作・演出:野田秀樹/シアターコクーン/コクーンシート5500円/★★★★

出演:松たか子、宮沢りえ、橋爪功、大倉孝二、北村有起哉、野田秀樹、田中哲司、小松和重、佐藤江梨子、近藤良平、藤田喜宏、山本光二郎、鎌倉道彦、橋爪利博、オクダサトシ

その完成度の高さのみならずチケットのとりにくさでも定評のある野田地図だが、主催側でもいろいろ考えていて、会員制で優先予約をできるようにしたりとか、今年からはWWWでも申し込みができるようになっている。ところが、そういうサービスとぼくとの相性が悪い、といってしまうと責任の一端を押しつけることになってしまうので、ぼくの愚かさを誘発しやすくてと書いておくが、去年は申し込みに必要な番号が封筒に印刷されていたのに、即座に封筒を捨ててしまい、今年はWWWで申し込んだつもりが、最後の完了ボタンを押し忘れていたということがあとあと発覚したりした。どうにか一般発売当日に、平日の、側面2階(実質3階)で端が見切れる席を確保した。

さて、舞台は地球からの移民が住み着いて900年が経過した火星。インフラは破壊され食料は乏しく、少しずつ破滅への道を進んでいる。「ストア」と呼ばれる場所に住む姉妹フォボス、ダイモスと父親ワタナベ。そこにワタナベが、若い女マトリョーシカとその息子の天才少年キムを引っ張り込んで一悶着起きる。ワタナベはキムに「死者のおはじき」というものをみせる。それは人間の肋骨に埋め込まれて、その人がみたものをすべて記録するデバイスで、死後取り出してほかの人が自分の肋骨にあてると、その記録をリアルに再生できるのだ。

そうして明らかになる移民がはじまったばかりの火星の姿。今は破壊者として振る舞っているパイパー(笛吹き男という意味があるけど『ハーメルンの笛吹き男』からとったんだろうか。たしかに人間を地球から連れ出した不吉な存在というところが似ている)というロボットたちが、もともとは火星の環境を人が住めるようにし、人々の幸福を高めるための存在だったということがわかる。人の幸福の総和は完璧に数値化されてパイパー数と呼ばれていた。あがったりさがったりするその数値はまるで乱高下する株価のようにみえる。

舞台は未来の火星だけど、これはまぎれもなく現代の地球の物語だ。科学技術の暴走、金融資本主義の崩壊、食べていいものといけないものをめぐる不毛な宗教戦争、人間を人間として条件付けるタブーの存在、少子化(または自滅してゆく世界で子供をつくることの是非)、歴史の改変。それらをわかりやすく善悪どちらかに区分けしたメッセージに堕することなく、そのまま提示している。前半、冗談交じりに語られた言葉が、後半でシリアスなとげを含んだ言葉になってはねかえってくる。

歴史の再生はついには二人の姉妹の過去の真実を暴き出す。廃墟を逃げるようにさまよう松たか子と宮沢りえ演じる母娘が交互に語る風景描写がとにかくパワフルで、涙を流しながら iPod でエンドレスで再生し続けたいくらいだった。

登場人物の一人がいう、希望が絵空事なら絶望も絵空事。だからラストは絵空事じゃない、ちゃんと手で触れることのできる幸福。そして、滅亡へと一直線に向かう世界のなかに永劫回帰的な円環がもちこまれる。これはすごい。

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作・演出:松井周/こまばアゴラ劇場/自由席3000円/★★★

出演:辻 美奈子、古舘寛治、羽場睦子、申瑞季、中村真生、石澤彩美、吉田亮、三橋良平、金子岳憲、黒田大輔

2009年はじめての観劇。去年32本みてちょっと慌ただしい感じがしたので今年はマイペースでいきたい気もするが、どうなるかわからない。

戦後の混乱期から実業家としてたたきあげ、文筆家としても名をなした浅倉史明の死後、傾いていく家運と彼が最後に立ち上げたシェルター販売会社の社運をもりかえすため遺された家族と社員たちは、彼の伝記を出版しようとする。社長をつとめるひきこもりの長男、役員でいまだにファザコンの長女、全身皮膚病で包帯に覆われている次女、伝記を編纂している資料部の3人、史明の角膜を移植され涙がとまらなかったり悪魔を幻視したりする使用人。そしてそこに史明の元愛人と息子、それに史明の昔の部下の女性投資家がやってくる。

スラプスティック、スラプスティック、スラプスティック。相変わらず、腹がへんな角度によじれそうな笑いだ。特に次女の求愛のダンスはすごい。鬼気迫るものがあった。笑いがおさまって頭をもたげるのは、『伝記』とはなんのことなのだろうという疑問。

冒頭で、この芝居がすでに書かれた『伝記』という台本に基づいて上演されるというごく当然のことが、あらためて宣言されるが、それと対照的に芝居の中の『伝記』はまだ未完成で書き換えられる余地をもっている。それで、元愛人の息子は自分たちのことを『伝記』に載せろと、露悪的に要求する。『伝記』をつくろうとしている側の人たちも、美化したい遺族と偏執狂的に事実をもとめる資料部の三人の間に葛藤がある。あるがままの世界と、記述された世界という、お定まりの対比の間で、ここでは記述された世界の方が圧倒的な重みをもっているのだ。

ラスト、阿鼻叫喚の騒動のなかで、過去の人物ではなく今ここにいる自分たちの伝記を作ろうという宣言がされるが、そうして書かれたものが冒頭で宣言されたようにこの『伝記』という芝居になったということなのだろうか。記述された世界の外にでようとしても、そこに別の記述された世界をつくるしかないというアイロニー。

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作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ/世田谷パブリックシアター/S席8500円/★★★

出演:余貴美子、高橋ひとみ、萩原聖人、岩佐真悠子、柄本佑、金井勇太、赤堀雅秋、村上大樹、三上真史、植木夏十、山西惇、渡辺いっけい、高橋克実

今年32本目にして最後の芝居。年間の新記録更新だ。年頭はスロースタートだったのでまさかこんなにたくさん観ることになるとは思ってもみなかった。

二組の中年夫婦が繰り広げる、洒脱でハートウォーミングなウッディ・アレン調のコメディ。高校時代仲良しだったニチカとミラは混雑するケーキ屋で30年ぶりに再会する。ニチカは大人のおもちゃ製造会社社長夫人にして翻訳家、ミラは写真家の妻でカウンセリング通い、と別々の道を歩んでいる二人だが、それぞれ家庭生活に火種をかかえていた......。

一昔前のケラリーノ・サンドロヴィッチは大傑作の合間に凡作が入るという感じだったが、このところは脂がのっているというか、コンスタントにマスターピースをうみだしている感じだ。定番のウェルメイドなフォーマットを採用しながら、そこに独自のナンセンスな笑いとちょっとずれた世界観をまぜこむスタイルがすっかり定着した。この作品も例外じゃない。全体的なまとまりの良さと引き替えに、最近の作品でちょっぴり物足りないのは、脳天まで突き抜けるようなはちゃめちゃな笑いと、鳥肌がたつようなすごみが影をひそめていることだけど、今回、ミラの語る海岸の夢のシーンは脳天まで突き抜けて鳥肌が立った。あれをストーリーの中核をになう場面ではなく、隠し味的に使うのは、ほんとうに円熟の技だ。

総じて、今年最後の芝居にふさわしい舞台だった。

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作:岡田利規、演出:竹中直人/本多劇場/指定席6800円/★★

出演:竹中直人、中嶋朋子、佐藤直子、井口昇、矢沢幸治、荻野目慶子

ぼくが演劇をみにいくようになったきっかけをつくってくれたのは竹中直人と岩松了という二人の存在で、この二人がタッグを組んでいた数年前まで、二年に一回年末に上演される「竹中直人の会」をとても楽しみにしていた。

二人が袂を分かってから、竹中直人は独自に「竹中直人の匙かげん」と銘打って、二年に一回の公演を続けたが、2004年の『唐辛子なあいつはダンプカー!』はテレビバラエティーの延長みたいな乗りについていけず、前回2006年の公演はテレビの放送作家の人が脚本ということもあり、パスさせてもらった。その間も岩松了作品はコンスタントに見続けていた。

さて、岩松了と竹中直人の二人の公演が2008年年末の同時期に催されているわけだが、ぼくは今回岩松了をパスして、竹中直人を選んだ。というのは、岩松了の方は一青窈をフィーチャーした音楽劇ということで、音楽の趣味が合わなくて楽しめないだろうと思ったことと、竹中直人の方の脚本がチェルフィッチュ主宰の岡田利規だったからだ。

岡田利規というと、きわめて日常的な内容を一見同じように日常的な語り口で語りながら、奇妙なダンスのような身振りが加わって、ふと表面的な言葉の裏側に深淵がのぞけてしまうような作風なんだけど、今回は竹中直人の要望があったのか、とても岩松了的な作品だった。

三人姉妹が、三女夫婦の別荘で久しぶりに再会する。『三人の女』と題されているが男も三人だ。何かにいらだち続けている三女の夫、次女の元夫にして現恋人、そして謎の同居人。岩松了的な、あり得ない場所から自分たちを俯瞰する、ねじれたセリフが飛び交う。

岩松了は比喩的にそのねじれを表現しようとするけど、岡田利規は直接的にそれを言葉にする。それは難解というか血肉ある人間が口にするにはどこか不自然さを含んでしまうものだけど、その饒舌に超絶技巧のピアノ曲をきいているような快感を感じる。中嶋朋子はほとんど不自然さを感じさせずにセリフを口にしていて、さすがと思わせたが、相手を務める謎の同居人役の井口昇にはかなり荷が重かったかもしれない。滑舌よくセリフをいうだけでなく、不自然さを感じさせずにこの役をできる俳優は、なかなかいないと思う。もしそういう俳優が演じたら、この作品は大傑作になっていたかもしれない。

竹中直人の演出は、かなり的確で、今後に期待がもてた。岩松了と違って音楽の趣味もいい。ちょっと物足りなさが残る舞台だっただけに、二年後といわず、(映画でもいいから)もっと早く次の作品がみたい。

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作・演出:池田鉄洋/下北沢駅前劇場/指定席3900円/★★

出演:佐藤真弓、岩本靖輝、池田鉄洋、村上航、菅原永二、いけだしん、佐藤貴史、伊藤明賢

各コントのおもしろさに評価をつけるとすると、オープニング○、アメリカ学園もの△、モーターショー△、バットマン○、モンドセレクション◎、貧乏神○、ゴキブリ○、白須△、歌舞伎△、垢なめ○、チラリン高校○、という感じだろうか。

とにかくモンドセレクションがおもしろかった。森永乳業の担当者がアロエヨーグルトを携えて、ベルギーの貴族モンド氏をたずねる。そう、彼こそは名高いモンドセレクションの審査をする人だったのだ......。

表現・さわやかは今回が第5回公演、第3回の奇跡的なおもしろさには及ばなかったけど、前回よりはよほど楽しませてもらった。来年は2回やるそうなので期待。