演劇ノート: 2005年アーカイブ

作・演出:野田秀樹/シアターコクーン/S9000円/2005-12-29 14:00/★★★★

出演:松たか子、古田新太、段田安則、宇梶剛士、美波、野田秀樹、マギー、右近健一、小松和重、村岡希美、中村まこと、進藤健太郎

りりしい松たか子。唾液のシャワーをふりまきながらの熱演だった。ラストシーンでまっすぐぼくの席の方を見据えてくれたことが少しうれしい。

ドストエフスキーの『罪と罰』を日本の幕末に翻案したストーリー。犯罪を起こすのは松たか子演じる女性の志士だ。原作では主人公を目覚めさせるのは、娼婦ソーニャの無垢さだが、こちらでは友人の才谷梅太郎(実は坂本龍馬)の狡猾さが彼女に自首を決意させる。才谷は象徴的に金という形をとったその狡猾さで、無益な戦いを回避し平和に新しい時代をもたらすのだ(そのあたりの価値観がちょっと80年代ぽい)。

生で野田秀樹作品をみるのははじめてだが、2005年のラストをかざるにふさわしいすばらしい作品だった。ストーリーがストーリーの論理で展開するのでなく、言葉のつながり、動きの連鎖で展開してゆくという手法は、ぼくが日頃観ている小劇場の演劇でもよく使われているが、その原点はやはり野田秀樹だいうことがよくわかった。いつもはそういう部分の良し悪しで芝居の評価が左右されるけど、今回はもちろん100%の効果を発揮していた。その部分が100%というのが当たり前という世界があり、その先にさらに奥深い世界が広がっているのだろう。ちょっとチケットはとりにくいし値段は高いが、これからも野田秀樹を観ていきたい。

作・演出:平田オリザ/駒場アゴラ劇場/自3500円/2005-11-26 19:00/★★★

出演:山内健司、大塚洋、ひらたよーこ、小林智、石橋亜希子、高橋智子、志賀廣太郎、根上彩、たむらみずほ、渡辺香奈、古屋隆太、堀夏子、小笠原康二、福士史麻

最近の平田オリザは日本人と戦争というテーマを扱った作品が続いている。『南島俘虜記』は、未来のあり得べき戦争で、日本本土を巻き込んで泥沼となった戦況を背景に捕虜になったあとの永遠のように長く続く退屈を描いた作品だし、『御前会議』は第二次世界大戦のときの日本首脳部の意志決定を戯画化した作品だった。未来、過去ときて、今回は現在。現在進行形でおこなわれている戦争をテーマにしたナンセンスコメディーだ。

遊園地再生事業団の砂漠監視隊シリーズを思い起こさせる一面に砂を敷いた舞台。そこに登場するのは日本軍の兵士5人、出征した夫を訪ね歩く妻、出奔した母親を探す父と三人姉妹、新婚旅行の夫婦、敵の兵隊二人。そこでは血なまぐさい戦闘はおこらない。殺戮は遠くからボタンを押して行なうものだし、日本軍の任務は行軍そのものだ。誰も何のためにどこに向かっているかを知らない。でも、単なる不運で人は死ぬ。勝者もいなければ敗者も存在せず、ただ延々と進み続ける、運が続く限り。

最後にトリビア。兵士の一人が本部との連絡に使っていた通信機器は、大きさからして初代ゲームボーイだと思う。

作・演出:倉持裕/ザ・スズナリ/指3600円/2005-11-19 19:00/★★

出演:小林高鹿、ぼくもとさきこ、玉置孝匡、吉川純広、宮崎吐夢

2002年の再演ということだが、初見。

芝居の楽しさのひとつに登場人物の人間関係が徐々に明らかになっていくというのがあると思うのだけど、今回は出てくる人たちがほぼ初対面という旅先の話で、逆にそこにおもしろさを出そうとしている。

町中を人が埋め尽くし、象が目隠しをされてのし歩くという熱狂的なカーニバルの真っ最中の辺境の国。それを見下ろすホテルの一室に集う日本人5人。恋人とカーニバルをみにきたが、喧嘩して恋人が帰ってしまった男鴨井、その恋人の弟でなぜか残っている病弱な宗宏、世界一周中のバックパッカー山添、勤め先の研修にやってきてひょんなことからカーニバルに参加していた仲丸、元カーニバルのシンボルの生き女神さまだった女鈴木。

シュールな状況設定とうらはらに笑いが全面にあふれた舞台。その分すごみとか謎とかがかけているので、ちょっと物足りなさを感じた。

作・演出:千葉雅子/ザ・スズナリ/指3700円/2005-11-05 18:30/★★★

出演: 中村まこと、森田ガンツ、市川しんぺー、佐藤真弓、池田鉄洋、村上航、いけだしん、岩本靖輝、菅原永二、千葉雅子、久ヶ沢徹

開演時間を間違えていた。15分遅れで、用意してもらった端の席に潜り込んだ。最初のうちぼくだけが物語に入り込めない疎外感にさいなまれたが、少しずつ笑いが身体にしみこんできた。

昭和の語り部といっていいようなネコホテだが、今回はずばり「はっぴいえんど」だ。そういえばチラシもはっぴいえんどのアルバム『風街ろまん』のジャケットがモチーフになっていた。松本隆に相当する役を池田鉄洋が演じている。作詞業に身が入らなくなった彼は山奥の別荘に引きこもって、別れた妻や解散したバンドの記憶にひたっている。現実と回想と幻想の入り交じった中にさまざまな人物が入れ替わり立ち替わりあらわれる。

細野晴臣に相当する役の中村まことがメインで歌う「フラフラ」という曲がとてもいい(どこかで聞くすべはないだろうか)。ラストシーンも今という時間を永遠に焼きつけているという感じでとてもかっこよかった。

今や一番安定して面白い芝居を見せてくれる劇団だが、次回公演は夏とのこと。次回は時間を間違えないようにしよう。

作・演出:岡田利則/駒場アゴラ劇場/自2800円/2005-11-03 19:30/★★

出演:松村翔子、瀧川英次、山縣太一、下西啓正、岩本えり、山中隆次郎、難波幸太、トチアキタイヨウ

何の合図もなく舞台に女性があらわれて、「それでははじめます」とエアコンの修理でもはじめるような調子のつぶやきとともに芝居がはじまった。

彼女は知り合いの前田さんという若い女性のことを話そうとしている。意味のない繰り返しや、言いよどみや、くだけた語尾や、適切とはいえない単語の選択、それにあわせた身振り手振りが、最初のうちとても自然で、芝居というより彼女がリアルに物語っているような気がしてくるが、やがて繰り返しが多くなり話が全然進まないことに気がつく。身振り手振りが誇張され不思議なダンスのように見えてくる。緊張感と単調さが入り交じった不思議な空気は、やがてもとの自然さにとってかわられる。

そこで話されているのは大げさな前振りからすれば何ていうことのない、前田さんが生理がこなくてふがいない彼氏に相談するというものだったりする。そして、そのシーンが実際に演じられる。ある役が特定の役者に100%結びつけられているわけでもなく、かといって自由自在に役を移り変わるでもない。二人以上が登場するシーンでもいわゆる会話や対話はなく、そこで発せられる言葉はすべてモノローグだ。そういういくつかのスケッチの連続で物語というか、物語の輪郭のようなものがぼんやりと描き出されてゆく。

物語をひとことでいえば、港北ニュータウンに住む若夫婦が、猫を飼おうと思っていたのだけど、妻の妊娠がわかったのでやめるという、ただそれだけのことになってしまうが、各スケッチでは、そういう大枠をむしろ裏切ってゆく要素が描き出される。たとえば、夫の方は動物には興味がなく猫なんてどうでもいいと思っているんだし、妄想の中で妻の架空の浮気相手にエコロジカルな不安を代弁させたりしている。妻が自分で制御できないような不安を訴えたときに、結局はどうにかなるんだよ的なもっともらしいことをいうのだが、それは、後輩である、前田さんの彼氏が相談に訪れたときに返した言葉と一言一句違えず同じだったりする。

ひとつにはまとまりえないゆらぎにあふれた芝居とでもいおうか。終演後のアフタートークで、作、演出の岡田利則はそれをノイズと呼んでいた。そのノイズに意味があるわけではなく、その向こうにあるもの、またはないものがポイントなんだと思う。ちょっと今回だけではそれが見えたとはいえなくて、あっけにとられたという感じだろうか。逆に記憶の中で鮮明になってゆくタイプの芝居だ。

作・演出:浅野普康/三鷹市芸術文化センター/指2500円/2005-10-22 19:00/★★

出演:笠木泉、高山玲子、持山優美、井苅イガリ、足立智充、柳沢茂樹、いせゆみこ、関寛之、南波典子、鈴木将一朗、松永大輔、佐伯新、加藤直美、(生演奏)高田漣

岐阜県揖斐郡揖斐町の湖畔のリゾートマンションが舞台。登場人物は、ホテルのオーナーである若い男性、従業員の男女(つきあっている)、オーナーの弟(警官)、その遊び仲間の男2人、そのうち一人の妹(いなくなった飼い犬を探している)。あとは宿泊客。倦怠期の夫婦、水の上で眠ることが目的というサークルの女性3人、謎の生物チュパカブラを探す若い男。

きっちり構成されたとても完成度が高い舞台だと思うのだけど、どこか物足りない気がするのは、人物が平面的にしか描かれていないせいかもしれない。いや、まあ彼らの芝居はそういう芝居なので、この批評はおかどちがいだとも思うのだが。あと、作品の評価とは別だが、場の緊張感を維持するのに直截なセックスネタに頼りすぎているような気がした。

もうひとつ。彼らの芝居はいつもどこか実験的だが、今回は役者が交替でアナウンス役を務める手法が試みられている。個々が演じている人物の内面を吐露するわけではなく、その場の状況をちょっと詩的な表現でつづっていくのだ。せっかくの趣向なので、もっといろいろ面白いことができたような気がする。

生演奏(といっても電子楽器ばかりなのでありがたみは若干薄れるが)していた高田漣の音楽はヴィム・ヴェンダーズの映画音楽のようでとてもよかった。名前を見たときはこの間亡くなった高田渡かと思って驚いたという戯れ言を書こうとしていたのだが、実は漣は渡のご子息ということでほんとうに驚いたのだった。

作、演出:村上大樹/シアター・トップス/指3500円/2005-10-08 19:00/★★

出演:村上大樹、町田カナ、加藤啓、千代田信一、伊藤修子、成田さほ子、山岸拓生、寺部智英、石川ユリコ、原金太郎、永山盛平

広い舞台の上に派手な舞台装置を置いてあちこち動き回るのが売りのひとつだったと思うけど、今回は狭い思い切り装飾を排したある意味安上がりな舞台だった。

ウンコから自分の分身が2人できあがる。1人が前向きな人生を追求するフューチャー、もう1人が破滅型のノー・フューチャー。というシチュエーションはとてもいいのだが、中だるみが波のように押し寄せてきてだれてしまう。「はい、今中だるみ」と笛を吹いて教えてあげたいくらいだった。繰り返しで笑わせるギャグも律儀に3回ずつくりかえさなくてもいいのにと思ってしまう。

総合的には、ふつうにおもしろかったけど、この劇団の場合はそれは誉め言葉にならない。

作・演出:小手伸也/吉祥寺シアター/指3200円/2005-09-17 19:00/★★★★

出演:古澤龍児、石村実伽、小手伸也、今村佳岳、小掠あずき、森岡弘一郎、笠井里美、児島功一、根岸絵美、池内直樹、金子恵、土屋雄、宍倉靖二、岩崎龍、櫻井無樹、石川カナエ、中谷千絵、菊岡理紗、三宅法仁

アイヌと琉球人という日本列島の南北両端に居住する二つの民族。彼らの共通点を挙げる学説はいくつかあるようだけど、これは物語として、彼らの住む二つの国の間の不思議なつながりを描いた作品だ。生と死、愛、戦争といった基本的なパーツのみで、余計な仕掛けや複雑な感情表現はないのだが、そのストレートさがまさに神話といっていいような世界を舞台の上に作り上げていたと思う。すばらしい。

innerchildは初見。客演でおかしなデブの役ばかりやっている印象がある小手伸也は自分の劇団ではこういう芝居を書いているのかと、うれしい驚きがあった。

この舞台の稽古がはじまる前に、出演予定者の一人(女性)が事故で亡くなったらしい。彼女の魂に届けようとする意志が、この作品のもつ力につながったのかもしれない。最後にパンフレットの小出伸也の言葉から引用する。

「みやげ(土産)」という言葉の語源はアイヌ語の「ミアンゲ(=身をあげる)」だと言われています、アイヌ(人間)にとって動植物のカムイ(神)の死は即衣食につながる感謝すべきもの。自分たちが生きるために、その身を捧げてくれたことに対する敬意に溢れた言葉だと思います。彼女はきっと「死」の何たるかを教えようとしてくれたんだと思う。それはまさに「ミアンゲ」で、僕らは彼女の死から掛け替えのない宝と傷を得た。

作、演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ/下北沢本多劇場/指5800円/2005-08-12 19:00/★

出演:犬山イヌコ、大堀こういち、KERA、新村量子、手塚とおる、藤田秀世、峯村リエ、みのすけ、三宅弘城、横町慶子

劇団健康とはナイロン100℃の前身の劇団だ。今回その復活ということだが、主要メンバーはそのままナイロンにも参加しているし、その他の人たちもかなりの頻度で客演しているので、どのあたりが健康かというとよくわからなくなる。手塚とおるが出ていることと、KERAがちょこっとだけ舞台に顔を出すことくらいだろうか。

『東京物語』と『生きる』のストーリーが並行して進むわけのわからない映画を作ろうとしているという設定で、脚本がどんどん脱線をくりかえして、さらにはちゃめちゃになってゆく。このはちゃめちゃがエスカレーションしてくれれば楽しかったのだけど、途中出てくる人々をどうでもいい気持ちにさせるスプレーが舞台にも客席にも蔓延してしまい、なんだかどうでもよくなってしまった。隣の男性は寝息をたてていた。

笑えたのは楽屋落ち的なところだったのだけど、それはやっぱり姑息な笑いだ。

ひとつの役を複数人交替で演じる演出も、『ヤング・マーブル・ジャイアンツ』では効果的だったが、今回は必要性が感じられなかった。

作・演出:倉持裕/スペース・ゼロ/指4500円/2005-07-16 19:00/★★★

出演:小林高鹿、瀬戸カトリーヌ、片桐仁、細見大輔、伊達暁、ぼくもとさきこ、郷本直也、野口かおる、玉置孝匡、つまみ枝豆、こぐれ修

オペラのステージ、客席を見下ろすことができるVIPルーム。プリマドンナみすず(彼女は舞台には「視線」としてしか登場しない)のヒモのような存在の自称作曲家細山は来る日も来る日もこの部屋にやってきているが、オペラを見るのにも飽きはて、やるせない時間を過ごし、観客たちが背中を向けるのにうってつけなことがこの部屋の中で起きているなんてうそぶいている。細山はいわばこの部屋の王様だ。だが彼自身は何もすることができない。

倉持裕には珍しいリアルな設定の芝居と思いきや、どうにも解明できないいくつかの謎が含まれた作品だ。細山を訪ねてくる鳥の糞にまみれた男。彼は自分が細山の落とし物であると言い、自分が誰かを教えてほしいという。それで彼は細山の兄という役柄をもらうわけだが、彼が話す兄弟の幼い頃の話の内容にリアリティーがありすぎて、その中に登場する幼なじみの女の子奈江ちゃんまでが実際窓から登場する。こうして彼らが役割を与えられたのと同様に、細山自身も実のところみすずから作曲家という役割を与えられたなんでも存在にすぎないのだが、最後の最後、みすずの視線の中で、彼はほんとうの作曲家になる、と読んでみたが、それでいいのかどうか見当もつかない。

謎だらけといいつつ、楽しさにあふれた芝居だった。特にラーメンズの片桐仁の存在感はやはりすごい。彼の一挙手一投足に見入ってしまう。いずれ生でラーメンズもみてみたい。

作・演出:赤堀雅秋/ザ・スズナリ/指3300円/2005-07-02 19:30/★★★

出演:日比大介、野中孝光、黒田大輔、赤堀雅秋、滝沢恵、多門勝、岩堀美紀、福田鴨秀、大和貴、児玉貴志

このところワンパターンだなと思っていたが、突き抜けたという感じ。舞台の上を6つに区切って、映画のように場面を切り替える手法も成功していた。

金物屋の暗がりからかいま見える美しい世界。その暗がりの中で妄想はふくらんでゆく。まるで鯨のように。せまりくる洪水。番いでないという理由で箱船から拒まれた男は、狂気の栓を開け放ち、ひとつひとつ凶行が重ねられてゆく。

汚いものの向こう側に聖なるものをかいま見せるという、赤堀雅秋の手法の完成形といっていいと思う。ただ、途中緊張感が途切れるところがあったのがちょっとマイナス(犠牲者の子供の兄妹のシーンはいくつかカットしてもよかったような気がする)。

作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ/吉祥寺シアター/指3900円/2005-06-30 19:00/★★★

出演:天野史朗、荒木秀行、荒巻信紀、井澤正人、いせゆみこ、市川訓睦、伊藤修子、猪岐英人、今井あかね、井本洋平、岩崎正寛、植木夏十、岡田昌也、緒川桐子、金崎敬江、眼鏡太郎、小林由梨、駒木根隆介、小宮山実花、近藤智行、主浜はるみ、鈴木里実、鈴木菜穂子、関絵里子、永田杏奈、音室亜冊弓、野部友視、初音映莉子、林雄一郎、三嶋義信、皆戸麻衣、宮本彩香、宗清万里子、横塚進之介、吉田真琴

オープンしたばかりの吉祥寺シアター。吉祥寺駅の北東、客引きが跋扈する歓楽街の端にあるのだ。壁や備品は真新しく、照明が明るい。トイレもきれいだ。座席は段差が深くとってあって、前の人の頭が邪魔になることはなさそう。椅子はどちらかといえばチープだが、真ん中がたわむので、長い時間座るのもそれほど苦にならない。規模は典型的な小劇場だが、若干視野が限られるものの、バルコニー席が両側にあったりする。

両親を事故で亡くして二人きりで暮らす消崎由香(『砂の上の植物群』で常盤貴子が演じたのと同じ役名)、健太郎姉弟を軸に、現実と、由香が健太郎のために書いている「童話」の中の出来事がオーバーラップして、ちょっと残酷でスラプスティックな物語が展開してゆく。

オーディションで選ばれた無名に近い(ぼくが知っているのは9人だけだった)若手の出演者35人(なぜか「イ」からはじまる姓の人が多い)ということで、散漫になってしまうのではないかと危惧していたが、全然そんなことはなかった。ありがたいことに無料で配布されていたパンフレットによると、彼らは全員ノーギャラで出演しているらしい。なんだか、若者の夢を搾取することにより成立している小劇場界の現状をまざまざと見せつけられているようで、考えさせられてしまう。もちろんそれでもケラの芝居に出ることにメリットがあるということなのだろう。

罪滅ぼしというわけではないが、何人か印象に残った役者をあげると、まず主役の由香を演じた宗清万里子。片眼に眼帯をしていて顔はいまひとつわからなかったがよく通る声が印象的だ。「童話」の中で荷物を運ぶOLキンギョとフナワを演じた、皆戸麻衣と小林由梨。結核で死の床についている野々村を演じた三嶋義信。小津映画に出てきそうな語りがいい。あと人体模型。

作・演出:岩松了/下北沢本多劇場/指5000円(3本セット10000円)/2005-06-25 19:00/★★★★

出演:大森南朋、鈴木砂羽、戸田昌宏、久遠さやか

3本連続公演もいよいよ最後。トリュフォーの『隣の女』へのオマージュかなと思わせるタイトル通り、隣同士に住む男女の特殊な「関係」が主軸になっている。

男(竹田)は一人暮らしで、古びた日本家屋で眼鏡屋を営んでいる。そこに入り浸るようにやってくる隣の夫婦宇野と八千代。竹田と八千代には宇野には秘密の関係がある(それがどういうものなのかは終わり間際で明らかになる)。その関係のやりきれなさから逃れるため、竹田は二階に独身女性の下宿人を置こうとする......。

電球の魔法、リンゴの形をした染み、果たされることのない海に行くという約束、右手の狂気。

初演は竹中直人が竹田の役をやったということだが、それをきいて竹田の人物像がはっきり絞り込まれた気がする。今回竹田を演じた大森南朋もすばらしかったのだが、竹中直人の表現する「屈折」は彼にはないものだなと思った。

たぶん今日だけだと思うが、眼鏡の修理を依頼しにきた客という役で小林薫が一瞬出てきた。さすがに客席がどよめいた。ラッキー。

作・演出:岩松了、演出:倉持裕/ザ・スズナリ/指3500円(3本セット10000円)/2005-06-02 19:00/★★★

出演:伊藤正之、谷川昭一朗、長田奈麻、加藤啓、玉置孝匡、ぼくもとさきこ、町田マリー、ノゾエ征爾、富岡晃一郎、粕谷吉洋、佐藤銀平、太田緑・ロランス、羽柴真希、北川智子

渋谷のセンター街にある、取り壊しを待つばかりの3階建ての店舗跡に街からあぶれた人々が集う。複雑な人間関係を把握するためにかなり集中力が要求される。階上に住み売春で生計をたてている春子、彼女の娘しのぶ、春子の常連客でありすぐそばで畳屋を経営する尾崎、彼の息子竜二(通称ヘルディナン)、店のかつての経営者の娘のりこ、元従業員関口、尾崎の友人であり春子の客として訪ねてきた舟木、舟木の義理の妹冴子、階上でハチ公の彫刻を彫っている元漫才師、近所の喫茶店から差し入れにきてくれるウェイター佐久間、交番勤務でありながら自ら「機能していない」という巡査清水、しのぶの友人ミイコと真木、乞食まがいの生活をしている手塚。

いつも以上に岩松了らしさのあふれるセリフ全開という感じで、脚本はすばらしかったのだが、そのセリフと何人かの役者とのミスマッチを感じてしまった。力量の問題ではなく、岩松了の場合、役者を選んでしまうところがある。なんでこの人はこんなややこしいことをいうのだろうという不自然さを、リアルな存在感(その人が確かにそこに存在しているという事実)によって圧倒する必要があるのだ。

どういうわけかスズナリといえば雨。今日もまた雨が降っていた。

作・演出:岩松了/ザ・スズナリ/指4500円(3本セット10000円)/2005-05-13 19:00/★★★★

出演:荒川良々、小島聖、高橋一生、近藤公園、平岩紙、少路勇介、遠藤雅、星野源、佐藤直子、池下重大、チョウソンハ、中込佐知子、柳野コーセイ、杉内貴、鈴木リョウジ、塚本三直恵、早舟聡、坂井貴子、三浦義徳、望月秀人

記念すべき100回目の観劇。7年かけて達成した偉業(と思っているのはぼくだけだが)に感慨もひとしおだ。奇遇なことに、最初に観た芝居も岩松了の『スターマン』で、劇場も同じスズナリだったのだ。

同じ「マン」つながりであることからわかるようにほぼ同時期に書かれた作品ではあるけれど、向こうが「静」ならこちらは「動」と「騒」、向こうが出演者数名の家族劇なら、こちらは20名が入れ替わり立ち替わりの群衆劇で、対極的な作品だ。舞台は山の中の自動車教習所。宿舎のロビーではさまざまな人々が交差する。これから会社をたちあげようとする男女数人のグループ、卒業できず6ヶ月間もいる男、いつもアイスクリームを食べている男、挙動不審の中年女性教師、宿舎を管理する職員の女性と彼女を訪ねてきた美しい姉。そこにあるのはほとんど無意識的といっていいような人間の悪意だ。その悪意がラストの芸術といっていいくらい狂騒的シーンで炸裂する。

チョウソンハのエキセントリックな演技がよかった。平岩紙の眼鏡姿はかわいい。荒川良々の存在感はすばらしい。彼がスーツ姿であらわれるだけで笑いが起きる。

ただひとつの不満は席がよくなかったこと。テーブルとテーブルの間の仕切りに邪魔されて右手奥のカウンターがまったく見えなかった。

作・演出:浅野普康/駒場アゴラ劇場/自2000円/2005-05-07 19:00/★★★

出演:笠木泉、高山玲子、井苅イガリ、足立智充、本田麻紀、柳沢茂樹、いせゆみこ、関寛之、南波典子、佐伯新

三歩進んで二歩さがる的な同じ言葉を繰り返す台詞回しがとても斬新だ。言葉を異化することによって場を生かすなんていかしている。

絨毯の色は情熱と嘘の色、赤。その上に横たわる女性。殺されてしまったにも関わらず彼女は話し続ける。そんな彼女の言葉をたどるように、舞台は彼女の死から数日前、東京から新幹線を使って一時間くらいのところにある長野県の小さな町に移る。別にそこで何が起きるわけでも彼女の死の謎が解き明かされるわけでもない。塾講師とその妻、工場を首になった怪しい男二人、フリーターの若い男女、塾講師の昔の教え子らしい若い女、ドキュメンタリー映画を撮るクルー、よくわからない眼鏡の女性が入れ替わり立ち替わりあらわれては、不思議なリズムの言葉をなげかけてくる。

舞台の上では死とセックスは描けないとよくいわれるが、今回のセックスシーンはかなり秀逸かもしれない。女が指で作った輪の中に男が指を出し入れするという下品なことを繰り返しているのだけど、その間例の不思議なリズムの言葉をやりとりしているのだ。

物語の広がりとしては前作の『キャンプ前』の方がよかったけど、今回は物語性を犠牲にした分まとまりがあったと思う。

作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ/シアターアプル/指8000円/2005-05-04 19:00/★★

出演:常盤貴子、筒井道隆、西尾まり、猫背椿、池谷のぶえ、赤堀雅秋、つぐみ、山本浩司、喜安浩平、温水洋一、渡辺いっけい

墜落した飛行機から奇跡的に脱出した日本人ばかり数人。流れ着いた土地は内戦の真っ最中で彼らは廃屋にかくまわれる。ところがある日を境に、彼らの世話をしてくれるはずの日本人ジャーナリスト、コギソは姿をみせなくなり、代わりに友人だというミムラという男が現れる。彼の口から、今日本は地震とテロでひどいことになっていて連絡がとれる状況ではないということを知らされる。こうして終わりのみえない隠遁生活がはじまる。

演劇というのは互いに拮抗する2つの力のバランスの上に成り立っている。物語を拡散させる力とエンディングへと収束させる力だ。拡散させる力が強くて収束させる力が弱い場合、一気に引き込まれるのだが、それは長続きせず終盤になるにしたがってだれてしまう。今回も休憩をはさんで前半はすばらしかったが、後半は困ったときのガンファイトになってしまっていた。「一人殺すのも二人殺すのも同じだ」というのは犯罪者だけでなく観客もいいたくなる言葉で、安売りのバーゲンみたいな殺戮は勘弁してほしい。殺すならせいぜい一人か二人。それもできるだけに丁寧に葬ってあげてほしい。

間近でみる常盤貴子は肉眼でみえるくらいのオーラを発していたし、渡辺いっけいは卑屈な男を演じさせたら天下一品だと思う。

作・演出:平田オリザ/駒場アゴラ劇場/自3500円/2005-03-20 19:30/★★★

出演:鈴木智香子、太田宏、申瑞季、兵藤久美、島田曜蔵、奥田洋平、井上三奈子、山田

笑いが前面に出た芝居。昨日の『気ままにミッドナイト・タイフーン』より笑えた。

ごく普通の市民たちが会議のためにひとつの部屋に集まる。離婚寸前の夫婦、失業中のOL、キャリアウーマン風の有能そうな女性、つまらないギャグを大きな声でいう男、太った若い男。遅れてやってきた若い女性は夫婦の夫の方とできている(つまり彼女が不和の原因)。異色なのが、中央に陣取っている佐藤という人物、というより人形。頭部はシャツをまるめたようなものにビニール袋をかぶせただけの雑な作りだ。みんな彼にごくふつうに話しかけているが、返事を期待しているわけではなく、問いかけの後妙な間があいてしまうのがおかしい。

議題は、駐輪場を設置するかどうかにはじまり、賞味期限がすぎたあとの食品は何日後まで食べてよいか、と続くが結局あやふやなまま次回まで保留という形になってしまう。このあたり日本の組織における意志決定がうまく戯画化されている。彼らがはじめて決定できたのは、人間は何のために生きるかという問題と、世界とは何かという問題だ。その結論は「わからない」。これは単なるジョークのように思えるけど、実はこのあと出てくるテーマにつながっている。

単純にわからないということと、わからないといいきってしまうことはちがう。後者は理性を限界づけて近代を否定する立場につながる。たぶんこれは戦中にもてはやされた「近代の超克」という思潮をさしているんだと思う。

このあと議題をはなれて、この芝居のひとつのテーマといえる、現在おこなわれている「戦争」について侃々諤々の議論が行われる。たぶんその戦争とは日中戦争のことで、海軍が戦線の拡大に反対していたり、日本軍が大陸でおこなった残虐行為が報道されることもあったのに、なぜずるずると太平洋戦争に引きずり込まれていったかが、短いセリフ(と玩具の拳銃の弾)のやりとりの中で的確に説明されていた。単純化していうとそれは人間の情けなさということになると思うのだけど、この情けなさは宇宙人の襲来に関する議論の中でさらに徹底的に戯画化される。

人形の佐藤はいうまでもなく天皇の立場の戯画化だ。実は五反田団という劇団の団員で山田という名前までついているらしい。終始無言だがとても存在感がある名演技だった。

作・演出:村上大樹/三鷹市芸術文化センター/指3000円/2005-03-19 19:00/★★

出演:池谷のぶえ、加藤啓、小出伸也、千代田信一、辻修、村上大樹

芝居ではなくコント集だった。それが悪いというのではなく、開演間際の合コンのエピソードには腹をかかえて笑った。だが、後半がよくない。つまらないコントほどだらだらと続いた。それに今日は小出伸也がやたらセリフをかんでいた。座席のせいかもしれないが、全体的にセリフが聞き取りにくかった。

芝居に関係ないが、前席のカップルの女性が何度も携帯の画面を開くのには閉口させられた。それが迷惑だということがわかる程度の想像力もないなら、どんな芝居をみてもわからないと思う。

作・演出:倉持裕/下北沢OFFOFFシアター/自2800円/2005-02-19 19:00/★★★

出演:ぼくもとさきこ、玉置孝匡、松竹生、赤堀雅秋、(声)近藤智行

キャストと仕上げ(というのが何を指すかわからないが)を変えた2バージョンの公演があって、ぼくが見たのは「メッキ仕上げ」の方だ。

地下の坑道で洗濯機くらいの大きさの機械を運ぼうとする男女。メーター、ボタン、ランプ、アンテナ、扉などごてごていろいろな装置がついているが、何に使うものかは組み立てた本人である彼らもわからない。彼らはそれを地上に運び出して、「審査」に出そうとしているのだ。審査に合格すればお金がもらえるらしい。台車が壊れて立ち往生していると、地下のそのあたりに居住する男がやってきて、以前そのような機械を見たことがあるという......。

地下都市と謎の機械の取り合わせにわくわくした。赤堀雅秋のエキセントリックな演技が役にはまっていて、大いに笑った。

もうひとつの「鏡面仕上げ」には、今回赤堀雅秋が演じた男の妻が出てくるようなのだが、ストーリー上どういう関係があるのかとても気になる。

作・演出:宮沢章夫/シアタートラム/指4500円/2005-01-15 19:00/★★★

出演:大河内浩、熊谷知彦、田中夢、岩崎正寛、鈴木将一朗、上村聡、片倉裕介、岸健太朗、山根祐夫、三坂知絵子、いせゆみこ、笠木泉、佐藤一晃、渕野修平、柴田雄平、南波典子

埼玉県で唯一利根川の北側に位置する町、北川辺町を舞台にしたハムレット。ただしハムレットに相当する人物、牟礼秋人は一度も舞台に現れない。「不在」なのだ。それでも確実に事件はおきていって、何人かが死ぬ。それは死というより、存在から「不在」への移行なのかもしれない。

ニブロール振り付けのダンス、大河内浩の二役の演技、「詩人」のつぶやきとスクリーンに映し出される水辺の風景、桜井圭介の音楽、ひとつひとつをとればどれもこれもすばらしいものばかりなのだが、それだけにもっともっとすばらしくできたのではないかと思ってしまう。最初何かが不足しているのかと思い、ハムレットのストーリーをオフェーリアの死までしか追えていないところが物足りないのかと考えたが、別に今さらハムレットを繰り返す必要なんてないはずで、そもそも何かが足りないわけではなく、逆に過剰なのではないかと思えてきた。

登場人物やエピソードやシーンを絞り込んで、もっと「不在」を徹底させてもよかったのではないだろうか。

作・演出:千葉雅子/ザ・スズナリ/指3600円/2005-01-08 19:00/★★★

出演:猫背椿、中村まこと、池田鉄洋、佐藤真弓、菅原永二、市川しんぺー、村上航、森田ガンツ、岩本靖輝、いけだしん、辻修、千葉雅子

猫のホテルの芝居は昭和のにおいがする。舞台となる年代が実際に二、三十年前のことも多いし、そうでなくとも登場人物が漫才師、流れ者、成り上がりなど昭和っぽい雰囲気を漂わせている。だが、ギャグのセンスだけはとても現代的だ。

今回も、昭和50年代の漫才師夫婦の家が舞台になっている。大人計画から客演している猫背椿が主人公であるお手伝いさんの役を演じている。この役柄がとてもいい。男たちをさっぱりとあしらうことができ、何かに執着することなく飄々としていて、責任は真摯に果たし、なおかつ義侠心のようなものをもっている。

脇をかためる猫のホテルの役者もそれぞれうまい。猫のホテルはいま一番確実に笑える劇団かもしれない。

作:デイヴィッド・ハロワー(訳:谷岡健彦)、演出:三浦基/アトリエ春風舎/自2500円/2005-01-01 19:00/★★

出演:安部聡子、大庭祐介、小林洋平

不思議な抑揚と間で語られるセリフ。言葉を異化させて、内容でなく言葉そのものに注意を向けさせようとしているのだ。

登場人物は3人。農夫とその妻、そして村外れの挽き臼小屋の男だ。一筋縄でいかない難解な物語だが、とりあえず構造としてみえるのは、イプセンの『人形の家』的な、女性の自立ということで、人形の家ではどちらかといえば社会的な自立だったけど、こちらはもっと根源的に、自分の言葉、すなわち自分の世界をもつということが描かれていたような気がする。「雌鳥の中のナイフ」というのは、神が頭の中に新しい言葉を与えてくれることを、雌鳥の腹にナイフを突き刺すことにたとえている。その比喩の通り言葉は危険なものであり、殺意につながってゆくわけだ。

古典以外の海外の戯曲をみるのははじめてだが、かなり新鮮だった(理解できたとは言い難いが)。日本でこういうのを書いてもほとんど受け入れられない気がするのは、演劇の裾野の広がりの違いだろうか。