演劇ノート: 2010年アーカイブ

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作・演出:池田鉄洋/駅前劇場/指定席3900円/2010-09-04 19:00/★★

出演:出口結美子、佐藤真弓、いけだしん、岩本靖輝、池田鉄洋、菅原永二、村上航、伊藤明賢、佐藤貴史

タイトルは内容にほとんど関係なくて、コントのオムニバス。これまでおもしろいのとそうでもないのがばらけているような感じがしていたが、今回はどれも水準以上の仕上がりだった(細かくみていくと以前と同工異曲なものも見受けられるのだが......)。ブルーメン、サバンナのゼブラとパンサー、避難訓練。そして意外なことに神主に扮したいけだしんの一人コントのコーナーもなかなかどうしておもしろかったのだ。でもほかの人の賛同は得られないかもしれないが、個人的に一番笑ったのはその前の前説的な佐藤貴史の口上。どういうわけか、かれの演技がけっこうツボにはまる。

『叔母との旅』

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原作:Graham Green、脚色:Giles Havergal(翻訳:小田島恒志)、演出:松村武/青山円形劇場/指定席6000円/2010-08-21 19:00/★★★

出演:段田安則、浅野和之、高橋克美、鈴木浩介

8月観にいく芝居が一本もないなと思っているところに、フライヤーをみて、タイトルと、四人のそれぞれ個性的な俳優たちにひかれて観にいくことにした。

銀行に長年勤めて早期退職したヘンリーの唯一の楽しみは庭のダリアの花。母の葬儀の日、そんな彼の前に長年音信不通になっていた叔母オーガスタがあらわれる。自由奔放な彼女に翻弄されて世界各国を飛び回り、ヘンリーの人生は変わる。

鈴木浩介が眼鏡はずすと最初誰だかわからず、往年のケイリー・グラントみたいな二枚目だと思ったが、その印象はある意味あたりで、ケイリー・グラントが主演してヒッチコックが監督しそうな物語だった。主人公ヘンリーは4人の俳優で代わる代わる演じられる。その演出がリズミカルで面白かった。オーガスタを服装は男のままで一人で演じた段田安則もよかった。

ゆっくりと人生が幕をおろそうとする時期に、まったく予期していなかった新しい人生が開ける。思春期に誰しもがボーイ・ミーツ・ガールの物語を夢見るように、ある程度年齢のいった人間が夢見る夢物語かも知れない。それにまんまと勇気づけられてしまったということは、ぼくもだんだんそういう年齢に近づいているということかもしれない。

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原作:ソーントン・ワイルダー、誤意訳・演出:柴幸男/STスポット/指定席2500円/2010-07-31 19:30/★★★

出演:立蔵葉子、大石将弘、召田実子、坂口辰平、武谷公雄、青柳いづみ、後藤飛鳥、大重わたる、高橋ゆうこ、狩野和馬、黒川深雪、白川のぞみ

チケットは、季節外れのクリスマスディナーの招待状。そして案内されたのは、白いクロースに覆われた巨大なテーブルを囲む席。目の前には食器とワイングラス。一瞬あっけにとられたが、ぼくもまた今宵このクリスマスディナーに招待された賓客の一人なのだということに気がついた。与えられた役割は、乾杯の音頭に合わせて、何度か空のワイングラスを隣の人と重ねるだけだけど、自分がこの場に参加しているという感覚を与えてくれるのであった。

ベヤード家というアメリカ東部で工場を営む家族の何十年にもわたるクリスマスディナーパーティーを連続してみせてゆく。ある家族と家の歴史が、クリスマスディナーパーティーの中に凝縮して表現されている。

誕生そして死。それぞれの表現がすばらしい。ある決まった出入り口から看護婦に抱かれた赤ん坊の姿で入場するのが誕生であり、隣の出入り口から退場するのが死を意味しているのだ。

おいしいディナーのあとみたいに満ち足りた気分になれる芝居だった。

ジャナビーブを演じた青柳いづみさんが特によかった。涙をぽろぽろ流していたが、あの涙があのシーンでなくてはならないとは思わない。だからこそ、逆に妙なリアルさを感じて、ぞくっとしたのだ。

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作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ/本多劇場/指定席6800円/2010-07-17 19:00/★★

出演:峯村リエ、緒川たまき、マギー、三宅弘城、小出恵介、犬山イヌコ、松永玲子、大倉孝二、長田奈麻、みのすけ、村岡希美、谷村美月、伊予顕二、白石遥、斉木茉奈、喜安浩平、藤田秀世

とてつもない災害が起きて、大多数の人が亡くなった国が舞台。ある町の5人はそれぞれの悲しみをかかえながら、国による復興を待つ間、より困窮した他の町の手助けをしようと旅立つ。そして彼らはある一風変わった町にたどりつく。町の住人のうち誰ひとりとして町の名前を知らず、悲惨な状況にもかかわらず笑いがあふれていた......。

休憩挟んで3時間半の長丁場。ギャグのキレはいつもながらにすばらしく、長さを感じさせなかった。特に老人役の大倉孝二は登場するだけで笑ってしまった。だが、ちょっと物足りなさを感じたのも確か。あっと一歩のところで琴線に触れない。特定の人物にスポットライトがあたるのではなく、群像劇的に物語が展開し、それぞれのエピソードの間に関連性が少ないのも、ひとつひとつが薄く表面的に感じられてしまった。何かひとつ核となるようなエピソードがほしかったかな。

と苦言を書いてしまったが、「よくできた」芝居には違いない。ただ、ナイロンの舞台には、どうしても「よくできた」以上の水準を求めてしまうのだ。

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作・演出:野田秀樹/東京芸術劇場中劇場/S席9500円/2010-07-10 19:00/★★★

出演:宮沢りえ、古田新太、藤井隆、美波、池内博之、チョウソンハ、田中哲司、銀粉蝶、野田秀樹、橋爪功、鳥山茜、加藤諒、下司尚美、長谷川寧、朝日はるか、石原晶子、大石貴也、大西智子、川原田樹、菊沢将憲、木村悟、黒木華、黒瀧保士、近藤彩香、佐藤ばびぶべ、佐藤悠玄、白倉裕二、末原拓馬、鈴木裕二、高山のえみ、竹田靖、田坂理絵、永田恵実、野口卓磨。鳩よん助、Pawcar=Exsen、福永武史、前原麻希、益山寛司、益山貴司、萬浪大輔、三明真実、柳亜耶、ユリサ

「キャラクター」というのは「文字」と「役柄」のダブルミーニング。書道教室を舞台に、いつもの言葉遊びが書かれた文字、とりわけ漢字を使って展開される。「袖」が「神」になるというように。そして、ギリシア神話の中の役柄が登場人物それぞれに割り当てられる。ゼウス、アプロディーテー、ヘラ、アポローン、アルゴス......。

まだ見たことのない弟を探す姉のシュールでおかしな物語が、現代の日本人なら誰もが知っているある深刻な物語へと "change" してゆく。新しい視点が示されているわけではなく、悲劇はほぼぼくたちが知っているままの形で再現される。ぼくにとってはまだ生々しくて、なぜ今この物語なんだろうと思ったが、もうそれなりに時間が経過し、次の世代に向けて、そろそろ「神話」のような普遍的な物語として語り継いでいかなくてはいけないということなんだろう。

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*作・演出:ブルースカイ/ザ・スズナリ/指定席3800円/2010-07-03 19:30/★★★

出演:池谷のぶえ、いせゆみこ、眼鏡太郎、黒田大輔、近藤フク、堺沢隆史、永井秀樹、野間口徹、藻田留理子、渡辺道子

大きな探偵養成所がシンボルの町。創立100周年とかで、記念の映画製作が予定されている。当初町長の息子が主役としてキャスティングされるが、溺れている町長を助けた貧しい青年バイカルくんにも挑戦権が与えられる。不倫の証拠写真を撮るという課題で勝負をつけることになり、もちまえの存在感が消える特技をいかして、バイカルくんが勝つ。こうして彼は念願のシネマスターへの道を歩み始めるが、実は彼には彼自身も知らない秘密があった......。

笑いのインパクトは若干おさえめだったが、前回以上にシュール。終盤、どうでもいいような枝葉末節なエピソードのはずのハトの写真集に焦点があてられ、舞台が出版社になってしまう。登場人物がひとりひとり、役と服装を変えて編集部員として登場して、最後は編集部員だけの大団円?という人をくった展開が素敵だった。

快快『SHIBAHAMA』

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作:北川陽子、演出:篠田千明/東京芸術劇場小ホール1/自由席3000円/2010-06-05 19:30/★★★

出演:大道寺梨乃、千田英史、中林舞、山崎皓司、加藤和也、北川陽子、篠田千明、佐々木文美、藤谷香子、天野史朗、郷拓郎、ナジュ・オルガ

はじめ、場違いなところにきてしまったと思った。どこかの学園祭に紛れ込んでしまったような居心地の悪さ。

いわゆる演劇といわれるものの範疇におさまりきるものじゃない。というか、ほとんどはみでている。落語『芝浜』がテーマではあるんだけど、それをネタとして繰り広げられるバラエティーショーといった趣。観客参加のジャンケン大会(自ら参加したとはいえ優勝してしまったシャイな若い男性はとてもかわいそうだった)、シューティングゲーム、ウェーブ。パフォーマーが身体をはった失神ゲーム、異種格闘技戦。ゲストの歌の演奏。

それが途中で反転した。ひとりが唐突に忠臣蔵について語りはじめる。四十七士というけれど、ほんとうは家臣は2000人くらいいたんです。わたしは残りの生き続けた1950人くらいの人たちのほうがすごいと思います、という高らかな快楽主義宣言。そして周囲に映し出されている世界中のライブカメラの風景。これが舞台の上だけで閉じられた虚構ではなくて、パフォーマーひとりひとりの生身の現実(=楽しさ)とダイレクトに結びついた空間だということに気がつかされるのだ。

なんだ、これは?楽しさそのものはぼくの理解や実感から離れたところにあるんだけど、その存在が気になって仕方がない。不思議な体験だった。

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作・演出:前田司郎/SPACE雑遊/指定席3800円/2010-05-29 18:30/★★

出演:平田満、小林美江、橋本和加子、西園泰博、井上加奈子

温泉宿の一室。社員旅行でやってきた男女混成の5人。ただしそのうち3人は元夫婦とその娘で、半分以上(元)家族旅行でもある。前半は平田満演じる元夫=父、沼田の独壇場。憎めないけどうざいオヤジ、それもステレオタイプなオヤジじゃなく妙に癖があったりして、それが余計にうざい。

後半は、前半ほとんど会話に参加しなかった元妻=母と娘二人だけのシーン。この母娘の会話がおもしろかった。その中で、ただうざいだけの存在だと思っていた沼田の生き様がちょっとだけ浮かび上がる。再登場した沼田は相変わらずうざいが、先ほどのエピソードをきいたあとだとどこか健気でいじらしい。

前田司郎独特のシュールな展開がなかったのはちょっと残念だけど、おかしくて暖かい、いい舞台だった。

原作:ソーントン・ワイルダー、誤意訳・演出:中野成樹/こまばアゴラ劇場/自由席2800円/2010-05-22 15:00/★★

出演:福田毅、石橋志保、洪雄大、田中佑弥、野島真理、村上聡一、小泉真希、斎藤淳子、竹田英司

はじめてのフランケンズ。海外の戯曲をストーリーの骨格は忠実に、細部を自由に作り替えて、ミニマルなセットの中で想像力を駆使して演じるのがコンセプト。

ニューヨークからシカゴへ向かう寝台列車の中、B寝台の乗客たちを軽く描写してから、メインの個室の2組に視点が移動する。妻が病弱な若夫婦と、不思議なものが見えてしまう能力のせいで施設に預けられようとする少女とそのつきそい。若夫婦の妻は食堂車で倒れ、医務室に運ばれる。結局亡くなってしまうのだけど、魂がさっきの少女にはみえて......というこれだけとりだすとちょっと薄い感じのストーリー。

でも演出(といってもどこまでが原作で指定されていてどこからが中野成樹の創意かは厳密にはわからないけど)はけっこうおもしろくて、このストーリーの中を、駆け足で進んでみたり、立ち止まってみたり、巻き戻してみたり、物語の外に出て関係ないことをやってみたり、とかなり自由に素材を料理していた。洗練されている部分とベタッとした部分が混じってほんとうはどっちをやりたいのかなと思わなくもないが、そのどっちつかずなところも小劇場らしくて悪くないと思う。楽しかった。

この作品は "Wi! Wi! Wilder! 2010" というワイルダーの魅力を伝えるイベント企画の皮切りということなのだけど、その発起人に中野成樹と、この間岸田戯曲賞を受賞した柴幸男が名前を連ねていた。それでいまさらながらにわかったことが、柴幸男におけるワイルダーの影響。彼の作風の原点はワイルダーにあって、けっこうがちにウェルメイドといっていいものだったのだ。(思えば、受賞作の『わが星』もワイルダーの代表作『わが町』へのオマージュだった。)中野成樹もワイルダー好きを公言しているけど、今回、そのウェルメイドな世界をそのまま再現することはしなくて、一歩引いていた。柴幸男はがちだ。それが二人の世代の差(中野成樹が9歳年上の1973年生まれ)なのかなんなのか興味深い。

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作・演出:本谷有希子/青山円形劇場/指定席6000円/2010-05-15 19:00/★★★

出演:小池栄子、水橋研二、安藤玉恵、広岡由里子、大河内浩

幼い頃に母親が家を出てしまい父親と二人で暮らす女性ジュン。粗暴な父親の抑圧に耐えながら、ジュンは本を読んで成長する。この父親というのは自分の弱さを武器にするタイプ。母親が出ていったのはジュンがうまれたせいだと責めながらも、おまえまで俺を見捨てたら自殺すると脅す。なかでも一番耐えられないことは、夜中に眠りながらめそめそ泣いていることだ。しかも起きると全然覚えていない。

父親に再婚話が持ち上がり、ジュンは相手の女性の強烈なパーソナリティーにたじろぎながらも(広岡由里子がすごい)やっと解放されると喜ぶが、その女性からやっぱり結婚はやめたと告げられたその夜、衝動的に父親を殺そうとしてしまう。それは結局未遂に終わり、酔っていた父親は全然覚えていない様子だったが、その出来事はジュンの心に大きな罪悪感として残った......。

水橋研二演じる、途中から登場する「先輩」というキャラクターが、今までの本谷ワールドにない感じで、奇妙な存在感を醸し出していた。物腰は丁寧なんだけど、人間の汚い部分をみたいといい、時として鬼畜な言動や行為をいとわない。つまり、彼は自分の衝動のままに生きる動物だったのだ。彼は最終的にジュンに求められる形でセックスをし、その結果大きな影響を受けてしまう。たいてい、こういうとき女性の側が変化して男性は平然としているように描かれることが多いが、逆なのがおもしろい。「先輩」はジュンと結ばれたのではなく、いわばジュンの本と結ばれたのだ。今まで、本を読まず幸福な動物の世界に暮らしていた彼は、ジュンの本により人間となることを強いられてしまう......。

父親殺しにまつわる、ほとんど原罪といってもいいような、その父親が殺されても仕方がない人間であればあるほど大きくなる罪悪感は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』が下敷きで、それとは逆に、罪の概念を知らないものが知ってしまったために一層悪くなるという部分は、『罪と罰』のパロディー的な展開になっていると思う(「先輩」は『罪と罰』の原典通り、娼婦ソーニャのような女性によって救われる)。このあたり若干観念的なセリフに走りがちではあったが、今までの本谷有希子の舞台にあった鋭さと勢いだけでなく、あらたに深みのようなものが感じられた。一皮むけた本谷有希子の世界が垣間見えたような気がする。

ジュンは価値観というかキャラクターを変えることにより父親に対抗し勝利する。この場面の小池栄子の捨て身の演技がおもしろかった。全体的に小池栄子はテレビで見るよりずっと美しくて品があって、びっくりしたのだった。

そして最後の最後、彼女はある行為により禊ぎを得ようとする。その行為とは......。

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作:別役実、演出:柴幸男/シアタートラム/自由席1000円/2010-05-08 19:00/★★

出演:粕谷吉洋、福士惠二、玉置孝匡、谷川昭一朗、ベンガル、平田暁子(ト書き、演出助手)

初めてのリーディング公演。そう、戯曲を舞台で上演するには、通常の演劇という形態のほかにリーディングという形態があるのだった。違いは、①舞台装置と衣装がないこと(といってももちろん全裸とかではない)②役者は基本的に舞台を動きまわらず静止したままで、台本を手に持って読むこと③ト書きが声に出して読まれること。衣装と舞台装置の費用が不要なだけでなく、稽古時間が短く済むことから、かなり安上がりに公演を実現できて、それがチケット代金にも反映されている。だが、劇作家自身が演出するなら問題ないが、今回のように既製の戯曲を演出するのは、できることが限られてしまうので、かなり難しそうだ。戯曲に書かれたことを再現する最後の1マイルが観客の想像力に委ねられてしまうのだ。

ポンコツ車のまわりに集まる、シルクハット、ステッキ、メガネと同じ風体の紳士5人(なぜかシルクハットとステッキは用意されているけど役者は誰も身につけていない)。ナンセンスコメディーなので彼らのちぐはぐな会話に大笑いさせられるんだけど、彼らがおかれた世界はかなり悲惨な状況だ。周囲にポンコツ車以外に目印になるものはなにもなく、方向もわからない。時刻は意味をなくしていて、昼なのか夜なのかもわからない。時間の経過もあやふや。新たな製品は生産されてない(だから臭い靴をはいていたり、いつのものかわからない新聞紙をもっていたりする)。人のアイデンティティは失われている。自分以外の人間を区別することができない。いわば世界が終わった後の世界。

今回ベテラン、中堅の役者が中心だったけど、基本的に声だけなのに、さすが、かなり存在感のある演技をしていた。通常の演劇より、うまさがよくわかるような気がした。

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作・演出:岡田利規/ラフォーレミュージアム原宿/自由席3500円/2010-05-07 20:00/★★★

出演:山縣太一、安藤真理、伊東沙保、南波圭、武田力、横尾文恵

同じ部署で働く立場の違う6人の若者たちの姿を描く、3つのパートからなるオムニバス: ①「ホットペッパー」派遣切りにあってやめていく同僚の送別会を3人の派遣社員が企画している②「クーラー」正規社員の男女2人がエアコンの設定温度について話している③「お別れの挨拶」やめていく女性派遣社員の挨拶。

お互い通じているのかいないのか微妙な、即物的で、日常会話のブロークンさをさら強調したような会話。そこから彼らの間を隔てる、偶然的で過酷な身分や状況の壁が浮かび上がってくる。若年世代のおかれている雇用環境の問題、その中で彼らの感じているリアルな不安、幸福。それらはチェルフィッチュが扱ってきた一貫するテーマだ。

これまでのチェルフィッチュ作品では、俳優たちの身体の動きは、如何に奇妙であろうとも、あくまでセリフに従属していたのだけど、今回は特に最初のパートなど、もはやダンスとしかいいようがないそれ自身独立した表現になっていたと思う。それにあわせるように音楽が前面に出てきた。3つのパートでそれぞれ別のタイプの音楽が使われているんだけど、サウンドトラックがほしくなるくらい、どれも素晴らしかった。忘れないように書き写しておくと、John Cage "Sonatas and Interludes"、 Tortoise "TNT"、 Stereolab "Metronomic Underground"、 John Coltrane "India"。身体はむしろこれらの音楽とシンクロしていた。

前回みた『わたしたちは無傷な別人であるのか?』とは方向性の異なる作品だけど、どちらもそれぞれに完成度が高くて、チェルフィッチュは今ほんとうに円熟期をむかえていると思う。数年前は、彼らがやろうとしていたことはピンときてなかったのだけど、彼らの表現が洗練されて進化したのか、時代(というよりぼく)がおいついたのか、とにかく今はっきりとこれぞチェルフィッチュというものが見えてきた気がする。

内容とは関係ないが、観劇をはじめて十数年ではじめてチケットを紛失というか、紛失した記憶すら紛失というか、そもそも受け取ったところから覚えてない事態になってしまった。なんとか入場することができたが、次から気をつけよう。

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作・演出:平田オリザ/こまばアゴラ劇場/自由席3500円/2010-05-02 19:00/★★★

出演:能島瑞穂、福士史麻、河村竜也、小林亮子、長野海、佐藤誠、宇田川千珠子、海津忠、木引優子、近藤強、齋藤晴香、佐山和泉、鄭亜美、中村真生、畑中友仁

革命を目標に掲げる武闘左翼集団のアジトが舞台。メンバーの夫婦の自宅を偽装している。2日後に迫ったテロの計画変更について話すためにメンバーが集まってくる。当初、空港襲撃だけだったのに、他組織との連携のために大使館襲撃にも人員をさくことになり、メンバーの不満と疑問が高まっている......。入れ替わり立ち替わりやってくるメンバーとそれ以外の一般の人々。一般人が訪れるときはチャイムは1回だけだが、メンバーは3回続けてならすのが、いいアクセントになっている。

柄谷行人風にいうと「資本=ネーション=ステート」という共同体を武力で打倒するという理念のもとに集まった個人だったはずの彼らだが、今や彼ら自身が共同体を形成して、それを存続させるためだけに活動している。リーダーが声高に自分たちの存在やテロ計画の意義を語ってもだれも耳を傾けない。みんなそんなことは絵空事で不可能なことは承知しているのだ。その共同体にくさびを打ち込むのは、さらに原初的な共同体、夫婦やカップルの関係だ。一組の夫婦は組織のために自分たちの生活を犠牲にし、子供と離れて暮らし、その関係は危機に瀕している。そして、もう一組のカップルの女性は、公然と組織の論理に反抗するが、むしろ銃後の妻の役割に徹しようとする。すると、そこにある封建制が先ほどの夫婦の妻の方から指摘されるが、逆に彼らの夫婦関係の危うさを突っ込み返される。

この場面の迫力はすごくて、カップルの女性の方を演じた鄭亜美がこちらに背中を向けているのだけど、そのむき出しの肩の部分が真っ赤に染まっていくのが、ほんとうに生々しかった。

ばらばらに分解してしまいそうな組織だが、外敵(というより今回の場合内部の造反者だが)に対しては一致団結する。というか、外敵の存在が組織を維持するために不可欠なのだ。

平田オリザは一貫して日本における共同体の問題をとりあげてきたが、今回は過激派を舞台にして、家族やカップルという最も基本的な共同体を排除しなくてはならない共同体のひずみのようなものを、描き出せたと思う。平田オリザ作品のいくつかを並べて日本共同体図鑑を作ったとして、かなり目をひく逸品だった。

innerchild『星合』

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作・演出:小手伸也/シアタートラム/指定席4000円/2010-04-17 19:00/★

出演:大内厚雄、小手伸也、長谷川葉生、竜史、金子恵、横田健介、善澄真記、和田真希子、大沼優記、大山真子、田口愛、古内啓子、安倍康律、澪乃せいら、初谷至彦、町田誠也、今林久弥、島村比呂樹、川島佳帆里、井俣太良、溝口明日美、石川カナエ、狩野和馬、富田遊右紀、鈴木麻里、菊岡理紗

2017年夏、南西諸島にあるとされる架空の島星合島を舞台に、その島につくられた民間の宇宙開発センターによる有人ロケット打ち上げと、10年ごとの七夕祭り、そのたびにあらわれる謎の男夏彦、そしてこの夏300年前からこの島に伝わる秘められた伝説の謎があきらかになる......。

シンプルな情感と、神話をベースにした複雑な世界観、というのがぼくが勝手に作った innerchild のキャッチフレーズだけど、今回魅力の一つである世界観が結果としてシンプルになり、単なるメロドラマで終わってしまった気がする。よくできたメロドラマには違いないが。

最初に伝説として語られた、浦島太郎、羽衣伝説、七夕伝説をミックスしたような物語はおもしろいけど、二度目に語られる実際に起きたとされる歴史も、ほとんど同じで、二回にわけて語る意味がないというか、二度目は、もっとリアルな世界観をベースにした方が効果的だった気がする。さらに、輪廻や、死者の魂を実体的なものとして扱ってしまうと、そこに救いがあらかじめ用意され、感動が疎外されてしまう気がする。感動というのは細い穴をくぐりぬけてこそのものなのに、穴をあらかじめ広げてほしくはないのだ。

表面的には言及されてないけど、この物語は『指輪物語』にもヒントを得ているような気がする。天(=ヴァリノール)からやってきて島(=中つ国)に留まる長命な人々。彼らの時代の終わり。もっとそっちにスポットライトをあてたほうが深い物語になったと思う。

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作・演出:柴幸男/こまばアゴラ劇場/自由席2500円/2010-03-27 19:30/★★

出演:飯田一期、いしお、板倉チヒロ、折原アキラ、菊地明香、島田桃依、菅原直樹、鈴木燦、高山玲子、能島瑞穂、野津あおい、森谷ふみ、(柴幸男、白川のぞみ)

前作『わが星』で岸田戯曲賞を受賞した柴幸男率いるままごとが、青年団リンクから独立後、記念すべき第一作。

『わが星』では地球の一生をちいちゃんという女の子の一生に見立てたが、今回は、人類全体をひとつの会社「わが社」に見立てている。観客はチケットの代わりにタイムカードを渡されて、それに入場と退場の時刻を刻印できたりする。そして、ビルのフロアは人類の生きた時代に見立てられている。地下300万年は原人の時代で、地上2010年3月27階が現在。日々高くなっている。

主な舞台は「わが社」の社内報編集部。そこに配属されてきた新入社員、、屋上でさぼる部員、そして「退職者」とその家族。基本的には、次にバトンをわたすものとしての「サラリーマン」、「労働」賛歌だ。

前回同様「見立て」の想像力が素晴らしいし、観客を楽しませよう、快適にみてもらおうとするホスピタリティーが気持ちいい。だが、今回はちょっと、類型的で身の回り3mくらいのわかりやすい感傷に頼りすぎたような気がする。

ふりかえってみると、確かに『わが星』もそういうわかりやすい感傷から構成されていた。でも、そういうものをつきぬけて、ぼくたちの生そしてこの世界が期間限定が期間限定であることの悲しみ、喜びを普遍的にとらえることに奇跡的に成功していたのだ。今回も、ちゃんとその普遍的なものは用意されていたのだけど、それがすぐ近くにあるものように感じられてしまった。もっとテーマを深くえぐって、その遠さ、はるかさを見せることもできたような気がする。

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作・演出:倉持裕/ザ・スズナリ/指定席4500円/2010-03-21 14:00/★

出演:小林高鹿、玉置孝匡、近藤フク、ぼくもとさきこ、吉川純広

劇団結成10周年記念、劇団員のみによる公演。

会社で会議中に後輩を殴ってしまった男遠藤が、処分が決まるまで倉庫に軟禁される。かわるがわるやってきて理由をたずねる先輩、後輩、偶然立ち寄った中学時代の同級生、そして当の殴られた本人。しかし遠藤自身にもはっきりとした理由はわからない。

序盤から中盤はNHKで放映されている『サラリーマンNEO』的なとぼけたおかしさがあり、さらに部屋に入ってきた人間が出ていくときに、殴った男の顔の一部を白く塗っていくという奇妙な演出があり、期待をもたせる展開だった(細部だが、部屋の外の足音や物音の反響にわくわくした)。

いけなかったのは、中盤から終盤に移行するところ、たぶんたまたまぼくの集中力が途切れるタイミングだったのがよくなかったのだろう。半ば遠藤の幻想とおぼしき動きの速いシーンについていけなかった。なんかこのまま終わってしまいそうな予感もあり、ぼくを置いていかないで、と叫びたくなる気持ちだった。そこでは終わらなかったんだけど、ほんとうのクライマックスの瞬間に同じ置いていかないでという気持ちを味わった。

遠藤が中学生時代の、教師から力尽くで押しつけられた役割と、級友を蛍光灯でたたいたという忘れられた記憶、それとパラレルに、現在の、周囲から押しつけられている虚像と、今回後輩を殴ったこと、があるという理解、つまり抑圧にたえられず「ほんとうの」自分が顔を出すと、不可解な暴力がうまれる、ということでいいんだろうか。でもちょっとそれだとありきたりのような気もするのだが。どうなんだろう。

『農業少女』

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作:野田秀樹、演出:松尾スズキ/東京芸術劇場小劇場1/指定席6500円/2010-03-20 19:00/★★★★

出演:多部未華子、山崎一、江本純子、吹越満

毒草学者の山本は偶然地方の列車の中で出会った15歳の少女百子に心奪われ、東京までの旅費を渡し、結局一緒に暮らすことになる。山本のフルネームが山本ヤマモートなのは、ナボコフの『ロリータ』の語り手ハンバート・ハンバートを彷彿とさせるし、物語全体の骨格は『ロリータ』が下敷きだ。

『ロリータ』では語り手の一方的で実らない想いの哀しさばかりにスポットライトがあてられ少女はほとんど人形のように描かれるが、この作品の百子は、ボランティアや市民運動に参加する主体的な女性だ。ただその主体性の先には運動のリーダーである都罪という男の存在があった。百子は彼を崇拝していたのだ。やがて百子は「農業少女」という食べると便の臭いがしなくなる米を発案する。彼女は自分の出自である「農業」を都市のライフスタイルと融合させることを夢見たのだ。それが受けて、都罪は話題を集めることに成功し、政界にうってでることにする。そして彼は「農業少女」のアイディアごと百子を見捨てる。彼はただ彼女を利用していただけで、自分の野心のみに忠実な男だった......。

松尾スズキの演出が見事だった。野田秀樹的なリズミカルさを残しつつ、とことん羽目をはずす。特にラストシーンの、まるですべてが山本の妄想だったかのように少女が消えていくところがすばらしすぎる。あと、もちろん、多部未華子がよかった。かわいい。声がいい。

(追記)この作品にはもう一つ、全体主義批判というメッセージがあるんだけど、一見それはサッカーに熱狂する群衆を揶揄したり、大衆煽動に長けた都罪という男とヒトラーを重ね合わせるだけで、表面的な批判に終わっているように思える。でも、実は食の生産手段つまり農業は原理主義的なこだわりを誘発するものだし、人間のにおいも最も差別感情を喚起しやすいものだ。全体主義批判というテーマは付け焼き刃なものではなく、この作品の根底に関わるものなのだ。農業少女は、全体主義に安易に巻き込まれてしまう個々の人々を象徴すると同時に、そこから逃れ出る可能性のようなものを示しているのかもしれない。

未見なのでよくわからないけど、少なくと野田秀樹自身演出の初演ではそうだったんじゃないかな。でも、今回そういうのを背景においやった松尾スズキの演出の意図もよくわかるし、成功していたと思う。

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作・演出:松井周/あうるすぽっと/自由席3000円/2010-03-06 14:00/★★

出演:今村妙子、加賀田浩二、木村健二、古賀陽子、篠原美貴、白石萌、上瀧征宏、高野桂子、田口美穂、田中克美、谷村純一、寺田剛史、中嶋さと、波田尚志、藤尾加代子、細木直子、宮脇にじ、古舘寛治、古屋隆太

サンプルの松井周が北九州の俳優、スタッフと作り上げた作品。

ちょっと amazon を彷彿とさせるような、時給700円のあまり労働条件がよくない工場で働く労働者たち。そしてそれから数十年後、彼らの労働を博物館的に展示している施設で働く若い清掃員、案内役の女性、そこを訪れた求職中の女性。その施設はまもなく閉鎖されようとしている......。

サンプルのときの松井周は、しっかりと世界観を作り上げて、その中で人々がどう動くかという必然性を自然科学者的に見つめようとしているが、今回よくも悪くもいつもと違って、世界観はわざとすきまをあけておいて、俳優やスタッフたちとの共同作業の中から偶然的のプロセスで作り上げていったという感じの作品だった。俳優それぞれに見せ場が用意されていた。緊張感のあるサンプルの世界もいいが、こういうちょっとゆるいのもきらいじゃない。

終演後のアフタートークで、そういう印象が裏書きされた。今回いくつかの縛りがあったらしい。「①地域(九州北部)と何かしら関連のある内容であること。②第一線で活躍する演出家が、稽古開始から本番までの約一ヶ月半、北九州に滞在して作品創りを行うこと。(アーティスト・イン・レジデンス)③オーディションで選出された地域の役者を中心にしたキャストであること。④スタッフは可能な限り北九州芸術劇場や地域のメンバーで構成すること。⑤東京公演を行うことで北九州から発信し、批評を求めていくこと。」そういうこともあり、今回ワークショップからみんなで作り上げていく形をとったそうだ。

東京で演劇やるのも苛酷だが、地方でやるのはそれ以上の難しさがあるだろう。俳優や劇団関係者をサポートすべく、劇場の人たちもいろいろ考えているようだ。そのあたりの話がちらりと聞けて、アフタートークはかなり面白かった。

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作・演出:岡田利規/STスポット横浜/自由席3000円/2010-02-20 18:00/★★★

出演:山縣太一、松村翔子、安藤真理、青柳いづみ、武田力、矢沢誠、佐々木幸子

男の人がいます。その男の人は幸せな人です。という抽象的なところから物語?ははじまる。いきなり面食らうのが、この「幸せ」という表現で、おとぎ話の最後に意味のない結句として「幸せに暮らしました」のように使われる表現が、登場人物を特徴づけることばとして使われている。

徐々に語られていくのは「幸せ」な夫婦の生活の断片。今度入居する高層マンションの建設現場をみにいくとか、妻の後輩の女性を家に招いてディナーをふるまうとか、そのあとの二人きりの時間、セックスなどだ。こういう「幸せ」の描写の中に、ところどころ不安の要素がちりばめられる。数年前の無差別殺傷事件の記憶、公園で小学生の女の子たちを見つめる男、通りすがりの男に対する理不尽な怒り、そしてきわめつけは、二人の家に突然やってくる謎の人物。誰でもちょっとしたことで幸せになれる、幸せというのは簡単なことなんだという、妻に対し、彼は、ただすべての人があなたたちのように幸せになれるわけではない、幸せというのはたくさんの不幸せにとりかこまれているということを理解してほしいということを執拗にくりかえす。この場面がとにかく圧巻だった。

前作『フリータイム』では個人的な幸福を肯定した感があったが、今回はより大きな枠組みの中で否定している。2009年8月30日の衆議院選挙の前日、当日に舞台が設定されているのも、個人と社会とのかかわりが選挙くらいしかないという現状を皮肉っているかのようだ。

これまでのチェルフィッチュ作品同様、これらの物語は俳優によって演じられるわけではない。俳優は、自分たちの身体をさらしながら、語るのだ。普段着のような服装で、身体を奇妙に折り曲げたり、揺すったりすることで、観客は、演じられている何かではなく、生のままの身体そのものをみる。それでも、今までは、俳優は多かれ少なかれ語り手という役を演じていたような気がするが、今回は、語り手ではなく、物語を媒介する透明な存在になっていたような気がする。それがどういう方向にいくのか今後の活動が興味深い。

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作:倉持裕、演出:世田谷ジェッツ/駅前劇場/自由席3300円/2010-02-19 19:30/★★★

出演:谷川昭一朗、栗田麗、戸田昌宏、野村恵里、関寛之、森川ゆきえ、松永大輔、篠原友希子、富士たくや、福津屋兼蔵、なんきん

倉持裕が脚本を離れてから、どうも日程があわなくて、みにいくことができなかったが、今回は過去の倉持裕脚本作品の再演ということで、万障繰り合わせて、久々のプリセタ。

倉持裕には岩松了の影響を感じるような、人間関係の機微をシニカルに描いた部分と、独自のシュールで残酷なユーモアの両面があるけど、今回は前者の色彩が濃い作品だった。ペン字教室を主宰する妻と、サラリーマンの夫。夫には漫画を描く趣味があったが、本格的に学んでみようと、偶然であった元漫画家に個人教授を依頼する。しかし、彼に一目会った妻は、露骨に彼を嫌うそぶりをみせ、彼はわたしたちを不幸にするという......。

いろいろチープといえばチープ。でも、小劇場演劇ってほんとうはこういうものだったという、原点の楽しさを感じさせてくれる舞台だった。特に、漫画のコマ割を舞台上で表現するところは腹をかかえて笑った。

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作・演出:山内ケンジ/駅前劇場/指定席2500円/2010-02-13 19:30/★★★

出演:九十九一、渡部雄作、KONTA、岡部たかし、古賀清、渡部友一郎、鈴木コウヤ、本村壮平、安村典久、メイビ、綿貫正市、牧田明宏、主浜はるみ、金谷真由美、大地輪子、田上香織、山口奈緒子

やけに登場人物が多いなと思ったら、事務所の10周年企画とかで所属俳優全員が出演しているそうだ。

城山羊の会は初見。もっとべたっとした感じを想像していたが、ブラックでとぼけたユーモアと底が抜けたようなシュールさが魅力的な舞台だった。誰か一人似た作風の人をあげるとしたら別役実だろうか。

同じ団地に住む友人たちが帰った後、やよいは軽くウイスキーを口に含むが、突然眠くなってうたたねしてしまう。目が覚めると夜で、ちょうど夫が帰ってきたところだった。あわてて子供部屋をのぞくが、塾から帰ってきているはずの子供の姿はない。そのとき突然携帯電話がなり、子供を誘拐した、返してほしければ身代金を払えという。打ちのめされる彼らのもとに、知らせていないのに、なぜか事件をききつけた、近所の友人、警察、夫の父、そしてやよいの愛人までもがやってくる......。

どれが現実に起きたことで、どれが幻想なのか、そもそもその間に区別はあるのか......。さらに不可解なことに、中心的な二人の女性の役をときどきほかの役者が演じる。それもうっすらと化粧をし、頭を短く刈り込んだ男性だ。どこかで見た顔だなと思ったら、バービー・ボーイズのKONTAだった。つまり、やよいの役は本来その役を割り当てられている金谷真由美とKONTA二人によって演じられ、もうひとつのあかねという役は主浜はるみそしてKONTAによって演じられているのだ。つまり三人二役。みている間は面食らったが、配布されたリーフレットの配役表をみて、なんとなるわかったような気になった。KONTAの役名に「罪」と書いてあったのだ。つまり、この二人の女性が罪深さを体現するような場面で、KONTAに変身するということなのだろう。すごくひねられた演出だ。

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作・演出:長塚圭史/下北沢本多劇場/指定席5500円/2010-02-11 18:00/★★★

出演:池田鉄洋、内田亜希子、加納幸和、小島聖、伊達暁、中山祐一朗、馬渕英俚可、光石研、村岡希美、山内圭哉

阿佐ヶ谷スパイダース、1年半の充電期間を経ての新作。充電前には2本しかみたことないので、とりとめのない雑感になってしまうが、泥と血のにおいが感じられる舞台だった。それが今回は、泥臭さはぬけ、血はでてくるが、より観念的になり、においはしなくなった。一言でいうと、「洗練」された。

ある小説家が主人公。グロテスクなホラーを書いていた彼は、作風を変えて観念的な小説を書くようになった。以前のファンを中心に酷評を浴びて、彼はいらつき、編集者をつれて夜の街に気晴らしにいく。そこで彼はとてつもなく奇妙な世界に迷い込む......。

語るものと語られるもの、自ら動くものと動かされるもの。ラストで謎の骨格は明らかになるが、それでも謎は謎のままだ。その狐につままれた感じが心地よかった。音響効果や、影の使い方も、すばらしいの一言だった。

この作品が先取りして描いているように、今までのファンは一部離れるかもしれないけど、阿佐ヶ谷スパイダースにはこれからこの方向でがんばってほしい。

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構成、演出:三浦基/吉祥寺シアター/指定席3500円/2010-01-23 19:30/★

出演:安部聡子、石田大、大庭祐介、窪田史恵、小林洋平、谷弘恵

今年はじめて、すなわち2010年代はじめての観劇。

わかりやすさが最優先される昨今の風潮にあらがうように独自の表現をとぎすませている京都を拠点とする劇団地点。今回は2007年に亡くなった日本演劇界の重鎮太田省吾のテキストをベースにしている。彼の戯曲や評論の一部の抜粋を俳優たちが奇妙な抑揚、身体の動きをつけながら、音楽を演奏するみたいに再現しているのだ。

今回はぼくのリテラシーの低さが痛感される舞台だった。彼らがやろうとしていることを一言でいえば「異化」ということになると思うんだけど、それを理解するには異化される前のオリジナルを知っておかなくてはいけない。題材とされた太田省吾についてぼくはほとんど何も知らなかった。そしてさらに、今回の異化の方法論についても、どういう文脈のもとにそこにたどりついたかを知らないので、それ自身として楽しむことができなかったのだ。上演中に一時意識を失ってしまった。10年以上演劇をみてきてはじめての経験だった。