Q
東武東上線て、なんで東上線なんでしょう?
A
東上線は池袋から埼玉県の寄居までの路線です。東武本線(伊勢崎線)等ほかの東武の路線とは交わりません。東武東上線ストーリーというページによると、当初は東上鉄道という会社が運営していて、東武鉄道とは別会社だったそうです。
もともとは東京から群馬県の渋川まで、さらには新潟県の長岡まで延ばす計画でした。東京から上州(または上越)までの路線ということで東上線という名前になったようです。今では名は体を表してないわけですね。
東武東上線て、なんで東上線なんでしょう?
東上線は池袋から埼玉県の寄居までの路線です。東武本線(伊勢崎線)等ほかの東武の路線とは交わりません。東武東上線ストーリーというページによると、当初は東上鉄道という会社が運営していて、東武鉄道とは別会社だったそうです。
もともとは東京から群馬県の渋川まで、さらには新潟県の長岡まで延ばす計画でした。東京から上州(または上越)までの路線ということで東上線という名前になったようです。今では名は体を表してないわけですね。
雅子さんに娘さんが誕生しましたが、皇室典範が改正されてその子が将来天皇になった場合、結婚される男性はなんと呼ばれるのでしょうか?皇后ではないですよね。過去の歴史や諸外国ではどうなのでしょうか?なんか気になってしまいました。
SAQBBSで名無しさんにそのものずばりの回答をいただきました。
日本の天皇は過去に10代8人の女帝がいましたが(数が違うのは一人で二回なっている人がいるため)、みんな天皇であった期間には未亡人か独身だったそうです。したがって、少なくとも日本では過去に呼び名が問題になったことはないようです。せっかくなので女帝の一覧を挙げておきます。
| 代 | 追号 | 生没年 | 在位 |
|---|---|---|---|
| 33 | 推古天皇 | 554~628 | 592~628 |
| 35 | 皇極天皇 | 594~661 | 642~645 |
| 37 | (斉明天皇) | 皇極天皇の重祚 | 655~661 |
| 41 | 持統天皇 | 645~702 | 690~697 |
| 43 | 元明天皇 | 661~721 | 707~715 |
| 44 | 元正天皇 | 680~748 | 715~724 |
| 46 | 孝謙天皇 | 718~770 | 749~758 |
| 48 | (称徳天皇) | 孝謙天皇の重祚 | 764~770 |
| 109 | 明正天皇 | 1623~1696 | 1629~1643 |
| 117 | 後桜町天皇 | 1740~1813 | 1762~1770 |
次に中国ですが、女帝は則天武后だけで、やはり未亡人でした。
一方、英国は今も女王が君臨してます。もちろんその夫の呼び名も定まっていて、 単に"prince"または "prince consort"といい、日本語では「王配殿下」と訳すようです。王の配偶者の意でしょう。
天皇の場合も同様、「皇配殿下」と呼ぶのが正解のようです。
江戸川沿いの矢切、多摩川沿いの矢口、矢野口など、川のそばには「矢」のつく地名が多い気がします。何か由来があるのでしょうか?
確かに多いです。このほか、府中市の多摩川流域には矢崎という地名がありますし、横浜市鶴見区で南武線の駅名にもなっている矢向も、鶴見川と多摩川のどちらからも近い場所にあります。
矢口の由来のもっとも有名な説は、日本武尊が東征の途中矢合わせをした古跡で、もと矢食村と呼ばれていたのがなまったと伝えられている、というものです。矢切にも似たような俗説があります。1538年(天文七)年 国府台(こうのだい)合戦で、里見氏側の矢が切れたせいで北条氏が勝ったので矢切という地名が生まれた、というものです。
これらの説を信じるとすると、川沿いは戦場になりやすいので、矢がつく地名が多いということになります。戦場になりやすいのは事実でしょうけど、それがあちこちで地名を生み出すほどのインパクトをもつとは思えません。
実は矢切の由来にはもっと有力な説があります。谷が切れたところの地形を表す「谷切れ」という言葉からきているというものです。実際、上記の国府台の合戦以前の文書に「ヤキレ」という表記がみられるようです。
多摩川の方の「矢」に関しては川崎の地名というページに「矢のつく地名は川べりによく見られ、湿地を意味する場合がおおい」という記述がありました。
というわけで、湿地にせよ谷にせよ、川沿いの特徴的な地形からきていることはまちがいないようです。
晩秋から初冬にかけて暖かい日が続くことを、日本語では「小春日和」といいます。「小春」は陰暦10月の異称ということなので、「小春」が先か「小春日和」が先か、鶏と卵みたいな話になりそうですが、いずれにせよ春のような気候ということなんでしょうね。さて、こういう気候を英語では "Indian Summer"というそうですが、こちらの語源はなんでしょう?
英国で古くから使われている言葉だとすると"Indian Summer"の "Indian"はインドなのでしょうが、アメリカ生まれの言葉のようで、"Indian"はアメリカインディアンを指します。
Word and Phrase Originsによれば語源の説は3つあります。
"Indian Summer"という言葉が一般的になったのは18世紀の終わり以降なので、その頃には植民者の支配権が確立していたことを考えると、1番目の説はそのままだと信憑性が少ないようです。この説の変形として、インディアンの収穫とか冬の準備などの活動が、この暖かい時期を選んで行われたからだ、という説もあります。
3番目の説は、英国でほぼ同じ意味の言葉の "St.Martin's Summer"の"St.Martin's"がやはり「偽の」という意味を持つようなので、1つ傍証があるということになりますが、そうだとすると、あまり気持ちのいい言葉ではないですね。
ところで、"Indian Summer"にはもう一つ、「(人生の晩年などの)落ち着いた幸福な一時期」という意味もあるそうです。
木製の、液体を入れるように出来ているものというイメージを持ってしまう、樽(たる)と桶(おけ)の違いは何でしょうか?ふたがあるなしで判断して良いですか?(ひろ=hiroさんからの質問)
確かにあらためて考えるとよくわからないですね。広辞苑第五版では、桶は「転じて、細長い板を縦に並べ合せて円筒形の側がわをつくり、底をつけ、たがで締めた入れもの。金属製その他もある。多く水などを盛り、または漬物をするのに用いる」だそうです。(転じる前は「 績(う)んだアサを入れておく器。ヒノキの薄板の曲げ物。おごけ」を意味していたようです。これはこれで薀蓄ですね。)対して、樽は「 酒・醤油などをいれる木製の容器。桶に似て蓋をしたもの」で、まさに蓋がキーポイントのようです。
ここで思い浮かんだのが棺桶です。あれは桶だけど、蓋があるし、それ以前に円筒形でもないぞ。そう思いました。しかし、時代劇、たとえば黒沢明の『用心棒』なんかを見るとわかりますが、昔の日本では桶に死体をいれて運んだんですよね。でもさすがに蓋はしたと思うんですけど。あと、風呂桶にも保温用の蓋がありますよね。
というより、桶にも蓋をすることはあるけど、それは桶には含まれない、桶の一部ではない、ということなのかもしれません。一方、樽の蓋は樽の一部です。
もう一つ気がついたのは、「酒・醤油」という例からわかるように、樽は貯蔵に重点があるということです。桶は運搬など、一時的な目的に使われる気がします。貯蔵するためには蓋が必須。ということで、やはり蓋なのでしょうね。
NIMDAというコンピュータウイルスが猛威を振るっていますが、これは正確にはワームに分類されるとのこと。ウイルスとワームの違いはなんでしょう?
アスキーデジタル用語辞典(http://yougo.ascii24.com/gh/74/007447.html)によれば、「通常のウイルスは感染の対象となるファイルといっしょになって、パソコン間を移動するが、そのようなファイルを必要とせずに、自力で多くのパソコンに感染するウイルスのことをワームと呼ぶ」そうです。
NIMDAについていうと、自分のコピーをネットワークドライブやセキュリティに穴のあるWWWサーバ(MicrosoftのIIS)にコピーするところはワーム的ですが、Outlook Expressのメッセージファイル(*.eml)の中に潜んだり、それをHTMLファイルからJavaScriptで開かせようとするところはウイルス的で、両方の性格をもつといえそうです。
なお、NIMDAの名は"ADMIN"の逆綴りからきているようです。
西洋画などに書かれている羽が書かれている裸の赤ん坊という共通のイメージを持ってしまっているエンゼルとキューピットなんですが違いが分かりません、教えて下さい。(hiroさんからの質問)
エンジェルはキリスト教、キューピッドはローマ神話(ギリシャ神話ではエロスと呼ばれます)なので、起源はまったく別なのですが、確かに似たような姿で描かれることが多いですね。
見分け方は簡単で、弓矢をもっているのがキューピッドで、もっていないのが天使だそうです。
なお、天使についていうと、必ずしも子供の姿をしているわけではなく、ごく一部がそのような姿をとっているだけのようです。ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン天使の詩』では薄汚れたコートを羽織った中年男が天使でした。ぼくのイメージの天使はこちらです。
ベストとチョッキの違いを教えて下さい(hiroさんからの質問)
これらは完全に同じ物をさしているようです。ただ、今やチョッキは死語になりかけていて、イメージとしては還暦のちゃんちゃんこのハイカラなやつを思い浮かべてしまいます。
語源を調べると、ベストは英語の"vest"そのままです。
チョッキにはいろいろな説があります。代表的なのは、英語の"jacket"かフランス語?の"jaque"という説。あと、マイナーなところでは韓国語の「チョゴリ」説。冗談半分で「直着」、」「ちょっと着るからチョッキ」。結局のところ、よくわからないようですが、わからないまま、死語になってしまいそうですね。
私たちは何気なく使っている言葉には、概念的に似ているものが別な名称を付けられているものがある。
みなさん、ベルトとバンドをどのように区別していますか
ベランダ・バルコニー・テラスの区別方法が分からないんです。(hiroさんからの質問)
今の日本語でいうとあまり差がないようですので、語源である英語で調べてみました。まずバンドとベルトから。
英語では『ヘアーバンド』式に直接体に触れるものを band といい、直接体に触れないものを belt といって区別しているそうです。というわけで、いわゆる「バンド」は「ベルト」というのが正しいようです。
ベランダ・バルコニー・テラスについてはもともといくつかの英和辞典・英英辞典で調べたことを脳内で合成して回答としていましたが、ある方よりメールをいただき、その内容が適切でないとの指摘を受けました。その方のアドバイスに従いThe American Heritage Dictionaryで調べなおした内容を以下に示します。
veranda, balcony, terrace 3語とも英語を通じて日本に入ってきました。英語では、これらに加えて porch, gallery などがほぼ似たようなものを指しながら、微妙にニュアンスの異なる言葉です。
どれも共通するのは建物の外につきでていることです。1階なのか2階以上なのか、廊下のような細いものなのかある程度幅のあるものなのか、屋根があるのかないのか、手すりや柵のあるなしなどでどの言葉が適切なのかの度合いが変わってきます。
まず、porch は1階の玄関部分にあり屋根がついてます(veranda とほぼ同じ意味に使われることもあるようです)。
gallery はやはり屋根つきですが、通路のようなものです。階は特に限定されていません。(アメリカの南部のいくつかの州ではveranda の意味で使われるそうです)。
balcony はgallery と異なりある程度の広がりをもっています。屋根の有無については特に書かれていませんが、手すりがあることは特筆されています。また、劇場などの二階席のような建物の内側に突き出た部分も指します(もともとの意味はこちら)。いずれにせよ2階以上にあるものを指すようです。
veranda は通常屋根つきである porch または balcony だそうです。つまり階については1階でも2階以上でもどちらでもよくて通路以上の広がりがあるということですね。
terraceはもとは段差のある地形を指す言葉で、それが建物に転用されたようです。建物の一部を指す場合、「1a.柱で仕切られた玄関、通路」や「1b.家やアパートのある階から外に突き出た高台」、「2.舗装されてアウトドアの生活空間を提供する領域」というように様々な意味に使われます。1a と 2 は1階であることを強く匂わせていますが、1b からすると2階以上に使えないことはないようです。もともとが地形から出た言葉なので、屋根や手すりについては特に指定はないようです。
公園に、球形でくるくるまわるジャングルジムのようなものがあったりします。あれはなんと呼ぶのが正しいのでしょう。
グローブジャングルです。球形のジャングルジムということで、見た目そのままのネーミングですね。でも誰かがそう呼んでいるところを聞いたことがありません。グローブジャングルといわれたら、緑の葉の代わりに茶色い野球のグローブが鬱蒼と茂っている密林を想像してしまいそうです。
糖尿病などで、食事の内容を制限することで、平常な生活を過ごそうとする行為を、食餌療法と表記します。何故、食餌と表記するのですか?患者が食べるものなんて、あんなの「餌」だからさ、なんていう医者のおごり的なかんじをもってしまいます。食事療法という、表記の方がよい印象を持ちます。(ひろさんからの質問)
漢和辞典によると、「餌」はもともと「やわらかく蒸したもち」という意味だったそうです。また「えさ」という意味のほかにも「食べ物の総称」という意味ももっています。「食餌」もこれとほぼ同じで、「食べ物の総称」を指します。同じ「餌」を使った熟語で「薬餌」にも特に「えさ」という意味はないですしね。
「食事」には「食べ物」という意味もありますが、むしろ「食べる行為」を指すことの方が多いです。そういう点からすると、食べる量や種類を制限する療法は、「食餌療法」という方がより正確であるといえます。
ですが、医学の専門書などを見てみたところ、「食餌療法」、「食事療法」、表記はどちらでもいいようです。確かに「餌」の字を見ていい感じをもつ人は少ないでしょうから、少なくと患者さん向けの資料には「食事療法」と書いたほうがいいですね。
なお、英語では単に"diet"または"diet therapy"というようです。"diet"はもともとギリシャ語で生活様式つまりライフスタイルを意味する言葉だったようで、それが英語に入って「日常の(飲)食物」という意味になり、特に病院や修道院での日々の規定の食事を指していました。そこから「食事療法」という意味が生まれたようです。
土用の丑の日にはうなぎを食べることになっているようですが、「土用の丑の日」というのはどのように決まって、どのような性格を持った日なのでしょう。
土用の丑の日にはうなぎを食べるというのは、江戸末期に平賀源内がうなぎ屋に頼まれて考え出したというのが定説になっています。また、うなぎはビタミンAやビタミンEが豊富で、夏バテ解消に多少なりとも効果があるのは間違いなさそうです。今回は、うなぎを追求するのはやめて、純粋に「土用の丑の日」にスポットライトをあてます(最近、岡野玲子『陰陽師』を読んでいるので、陰陽道的にいってみます)。
まず「土用」です。陰陽道の根幹をなす五行思想では何でも木・火・土・金・水という五つの属性に分類します。季節も、春=木、夏=火、秋=金、冬=水と対応付けがされていて、余った「土」は季節を循環させる役目をにない、それぞれの季節の終わりの18日間(太陽黄経によって決めているため19日間の場合もあります)に「土用」と呼ばれる期間がおかれます。いまでは夏の終わりの「土用」のみが残っているというわけです。今年(2001年)の場合は7月20日が土用の入りで、立秋前日の8月6日まで続きます。
次に「丑」ですが、これはいわずとしれた十二支の二番目です。年に十二支が割り当てられているように、日にも割り当てられていて、子・丑・寅…と順に変わっていきます。そういうことなので、土用の丑の日が二回ある年もあります(最近では1999年)。
実は、以下の図に示すように、十二支と五行は密接に関係しています。本来夏の終わりの「土用」だと、対応する十二支は「未」ですが、同じ土用でもその対極にある「丑」の日が選ばれています。なお、蛇足ですが、「丑」は「紐(から)む」に通じ、植物の成長にたとえると芽が種子の内部にまだ生じていない状態を指すようです。

平賀源内がうなぎの日に「土用の丑の日」を選んだ理由は伝わっていませんが、わざわざ対極の日をもってくるあたり、陰陽道が深く紐(から)んでいそうな気がしますね。
参考文献:岡野玲子(原作:夢枕獏)『陰陽師 6 貴人』
職場で「ぜんざい」と「しるこ」の違いが話題になりました。どうちがうんでしょうか?職場の人は「ぜんざい」はどろっとしてて,あずきたっぷり。「しるこ」はさらっとしててスープみたいと,いわっしゃるのですが・・・私は「しるこ」の存在が頭の中から消えていたので,具体的なイメージなんて浮かぶはずもなく,最後に搾り出してやっと出たのが,スーパーで売っているパッケージの絵(写真)でした。どう違うんでしょう?お助けください。(kajiさんからの質問)
広辞苑第五版によれば、ぜんざい(善哉)とは「関西では、つぶし餡の汁粉。関東では、粟餅・道明寺餅・白玉餅などに濃い餡をかけたもの。」だそうです。しるこは「小豆の餡あんを水でのばして汁として砂糖を加えて煮、中に餅または白玉などを入れたもの。漉餡(こしあん)のものと粒餡のものとがある。」です。
関西・関東とも「しるこ」がより一般的な概念で、その中で「つぶし餡に限定したもの」(関西)、「餅の種類と餡子の濃さを限定したもの」(関東)が善哉と呼ばれているようですね。どの辞書を見てもこの通り書いてあるので、この定義に間違いはないようです。
善哉の語源が気になったのでついでに調べてみました。小学館日本語大辞典には以下の3つの説が載っていました。
どの説も面白いですが、説得力が今ひとつです。同文書院の総合食品事典を見てみたら、「善哉とは仏教語で喜ぶという意味であり、年の初めを祝う餅の意であった。」と断定口調で載っていました。個人的には一番説得力があると思います。
世の中で制服姿というのは、そんなに珍しいものではありません。 学校、警察官、自衛隊、看護婦、工場での作業着・・・・etc 男女、それぞれの職業にふさわしい制服がそれなりに出来上がっていて、それなりの機能を果たしているのだろうと思います。 ただ、唯一疑問に思うのは、多くの会社で女子社員だけが制服を着ているというパターンが、日本では当たり前のようになっていることです。 外国映画など見ていて女性が私服姿で働いている姿を見ると、何時も日本のOLの制服姿に何ほどの効果があるのかと考えてしまいます。 (私を含めて制服フェチな方には確かに効果的だろうとは思いますが) 正当な理由があれば、外国に倣う必要などありませんが、この慣習について薀蓄が いただければと思っています。(ダリさんからの質問)
平凡社世界大百科事典には以下のように書いてありました。
『女子労働者の制服の先駆けをつくったのはナイチンゲールで、1860年ころ、彼女の病院で働く看護婦に当時流行していたクリノリンの着用を禁止し、スカートの上から白いエプロンをつけさせた。(中略)
日本では昭和初期に自動織機に導入されるまでは紡績工場の女子労働者は、和服にたすきがけやエプロンがけといった服装で働いていたが、機械化による危険性から帯が禁じられ、二部式の洋服(上衣にぶるまーずやズボン)を着用させたり、あるいはあたらしい作業衣がさだめられたりした。第1次・2次世界大戦は女子の職場進出をうながしたが、和装の上から着用できる袖と身ごろのゆったりとした事務服は、大正から昭和にかけて近代的なビルで働く女性を象徴するものであった。第2次世界大戦中のバス車掌の軍服に似た紺色の制服も同様であった。戦後、洋装化がすすみ、とくに1960年代以降、各企業は、そのイメージづくりや労務管理の一環として、競って女子労働者の制服を定めるところが多くなった。』
もともとは和服を着ていることによるなにがしかの不都合(帯が危険とか汚れるとか)があって、それをとりのけるという目的があったようです。
戦後洋服が普及してからは、企業の側からは「イメージ作り」が主たる理由のようですね。また女性の方にも「あの会社の制服が着たい」というような憧れがあったかもしれません。その裏には、女性は所詮お飾りというような差別的な考え方があったのは間違いないでしょうね。
今現在、女性にのみ制服があるというのは差別以外の何ものでもないでしょう。女性だけが当番でお茶くみをしている会社もまだまだ残っているようなので、そういう差別的風土の根絶は難しいようです。ただ、ある職種に制服が定められていて、それがたまたま女性ばかりというケースは一応セーフだと思うので、その区別がむずかしいところです。
首相が外遊するときに使う政府専用機ってありますよね。 それが、空港で滑走路を移動してるときに、コクピット上あたりに日章旗が 付いているのを、TVなどで見ることがあります。 あれは、成層圏を飛んでるときもはためいているとは思えないのです。 となると、着陸したときに誰かが付けるのか、それとも自動で出てくる何か の仕掛けがあるのか?考えると夜も寝られません(笑)(ダリさんからの質問)
そうですね。途中ではずすのはまちがいないと思われますが、手動なのか自動なのかという点に疑問が残りますよね。
http://www.necomimix.f2s.com/home/diary/old/1999q2.html というページによると「政府専用機の上に立ってる日の丸は、コクピットの上に窓があって地上滑走中に操縦員が出し入れしている」ということです。
また http://www.epsnet.co.jp/~f4u/ansq/1/A2001306.html というページによると、なるほどザワールドで「天測用の窓がコクピット背後のスペースの天井にあり、それを開けて旗を出す」と紹介していたそうです。
なので結論としては、手動で出し入れしているということのようです。
クッキーとビスケットとサブレの違いって何でしょう?時々疑問に思っています。(Rekoさんからの質問)
まずはサブレから片付けましょう。広辞苑第五版によると「(フランスの町の名から) 小麦粉・バター・卵黄・砂糖などを混ぜて焼いた、さくっとした口当りのクッキー」。語源はフランスの町の名ということになっていますが、"sablé"はフランス語の形容詞で、砂をまかれた、とか、さくさくとした歯ごたえの、という意味があります。語源は、町の名ではなく、さくさくの方なのではないかという気がしてしょうがないです。広辞苑の記述は信用できるのか疑問。いずれにせよポイントは歯ごたえで「さくさくしたクッキー」をサブレというようです。
次にクッキーとビスケットとの違い。こちらはいろいろな説があります。
まあ、日本では一番最初の「糖分・脂肪分と外観」のちがいでいいのではないでしょうか。
会社の近くのコンビニで助六寿司というのを見つけました。おいなりと太巻きが入っています。なんで助六なんですか?
S.Yさんより答を教えてもらった。
助六とは歌舞伎の『助六所縁江戸桜』の通称で、広辞苑第五版によれば以下のようなあらすじだ。
「花川戸助六、実は曾我の五郎が名刀友切丸詮議のため吉原に出入、愛人三浦屋の揚巻に横恋慕する髯ひげの意休に喧嘩をしかけ、ついに意休から刀を奪いかえす。」
助六の愛人の名前は揚巻、つまり「揚げ」と「巻き」。それで、油揚げにくるまれたおいなりと、太巻きが入っている寿司は「助六」と呼ばれているそうだ。江戸っ子らしい洒落っ気が感じられて、いいネーミングだ。
「にっちもさっちもいかない」といいますが、語源はなんでしょう?売れない双子のデュオかなんかですか。
もとはソロバン用語だそうです。珠算には割り算の九九があって、「二進一十」というのは「2÷2=1」を意味し、「三進一十」は「3÷3=1」を意味していたようです(なぜそんなふうにいうのか珠算を知らないぼくにはさっぱりわかりません)。両方ともぴったり割り切れるところから、「二進も三進もいかない」というのは、逆にやりくりがうまくいかないことをさしていました。そこから音が変化して「にっちもさっちもいかない」になり、意味が広がって「窮地に追い込まれる」というような場合にも使われるようになったそうです。
突然ですが、魚には赤身の魚と白身の魚がいるのは何故でしょう。マグロなんかは赤くて、鯛なんかは白いじゃないですか。人間だったら、黒人だろうが白人だろうが黄色人種だろうが中身は一緒なのに、魚は何故赤いのと白いのがいるのでしょう?。(ここかさんからの質問)
魚の筋肉には二種類あります。瞬発力は高いけど持久力のない速筋(普通筋)と、その逆で持久力が高い遅筋(血合筋)です。遅筋にはミオグロビンというヘモグロビンによく似た蛋白質が多く含まれているため赤く見えます。マグロやカツオのように長距離泳ぐ魚には遅筋が多くついているので、肉が赤身になり、、ヒラメなど海底にじっとしていることの多い魚はほとんど速筋なので、肉が白身になるというわけです。
さて、面白いのはサケやマスなどオレンジ色の身をもつ魚たちです。これはミオグロビンのせいではなくアスタキサンチンというカニやエビの体表を赤くしているのと同じ色素のためだそうです。アスタキサンチンは、もともと体にあるものではなく、餌から取り込まれるものです(つまりサケはもともと白身の魚ということ)。昔飼っていたカナリアに、毛色を赤くする餌なんていうのを食べさせたりしていましたが、サケでも同じようなことが行われているようです。確かに白っぽいサケなんておいしくなさそうですもんね。
この日にチョコレートを贈るというのが、日本のチョコレートメーカーの陰謀なのは知っていますが、もともとはどういう日なんでしょう?どうでもいいですけど、義理チョコっていやですね。
britannica.comで調べました。Saint Valentineは二人いるそうで、二人とも3世紀ごろの殉教者です。かわいそうというか信心深くて立派というか。
一人はローマの聖職者・医者だった人。皇帝クラウディウス・ゴティクスの迫害にあって死にました。もう一人はイタリアのテルニという町の司祭。ローマで殉教して、遺品だけがテルニに戻されたとのこと。実はこの2人が同一人物という可能性もあるとのことで、よくわからないようです。
さて、2月14日ですが、この二人(あるいは一人)とは何の関係もありません。とにかく、命日とか誕生日ではないらしいです。
西洋ではこの日に特別な形(写真で示されていたのはハート型でした)のカードを(もちろん恋人たちの間で)交換し合う習慣がありました。このカードのことを「バレンタイン」といいます。その起源は16世紀にまでさかのぼれ、これがグリーティングカードの「走り」ではないかといわれています。
今でもこの習慣は残っていて、ほかには花を贈ったりもするようです。(O.Kさんの情報)
ということで、Saint Valentineの名前がなぜ使われたのかは皆目わかりません。そもそも、彼あるいは彼らは一人なのでしょうか、二人なのでしょうか。意表をついて三人トリオとか四人でカルテットだったりはしないのでしょうか。いや、四人でトリオとか、五人でカルテットということもありますね。
(2001-02-18追記:「聖人カレンダー365日」というWWWページを参考にしました)
カトリックでは信仰の規範として聖人を祝うという習慣があって、それぞれの聖人に記念する日というのがあります。Saint Valentineも聖人の一人で、その記念日は確かに2月14日です(聖チリロや聖メトジオの記念日でもあるそうです)。
聖人にはそれぞれ守護する対象というものあって、そういう意味から守護聖人とも呼ばれています。Saint Valentineの場合は「子供」や「家畜」だそうです。やはりあまり恋愛とは関係ないです。
古代ローマで2月中旬に行われていたルペルカリア祭のなかの、女性が愛の手紙を壺の中に入れて贈るという風習が、同時期のSaint Valentineの記念日に強引に結び付けられたということが真相のようです。