
髪を切ってもらっていた。もし早めに終わったらあっち、遅くなったらこっちといくつかプランを持っていたが、実際解放されたのは、早めと遅めの間の中途半端な時間だった。一瞬迷って選んだのは遅めの方。川崎でおりた。
家族亭で穴子天せいろ(900円)を食べてから浮島バスターミナル行きのバスに乗り込む。乗客を乗せたりおろしたりしながらだいたい30分くらいで、終点浮島バスターミナルにたどりついた。その先は海、埋立地の最果てだ。ただし、今では東京湾アクアラインが開通し、真の意味でのターミナル、終わりの場所ではなくなっている。
浮島を選んだ目的は、夕暮れの、ライトアップされた工場の風景を撮ることだったのだが、まだ日は高く、まだ1時間以上かかりそうだった。それを待つだけの気力もモチヴェーションもこちらには持ち合わせがなく、古くからの地引き網漁法のように視線にひっかかったものを撮ることにした。
同じバスに終点まで乗っていた二人のうち一人の若い男性がぼくを追い越して信号を渡り入っていた先は公園。浮島町公園という名前だった。先行する男性はすたすたと進んでいき、正面と右手に海が開けている角に陣取って腰をおろした。何をするでもなくただ風を感じているようだった。その風は、3本の風力発電用の風車をまわしている。ここは彼の秘密の場所なのかも知れない。
公園を一周して外にでるとあとは頭上に首都高の高架がふさがり両側に工場の敷地が並ぶ一本道。工場の中は広大でまるでひとつの街のようだ。もちろんその中には立ち入れないのでまさにゲーティッドシティー。歩いても歩いても風景は変わらず、ただ工場の社名だけが変わってゆく。一向に夕暮れは訪れようとせず、離れた場所から太陽に照らされたプラントを撮影しても、平板であまりおもしろくなかった。
途中運河を渡った他は変化がないまま3km近く歩いて、ようやく自動販売機があらわれて、その先にはコンビニが見えた。そしてはじめての通り抜け可能な分かれ道。まっすぐ川崎中心部に進むのではなく、その分かれ道を左に曲がることにした。その先は夜光という名前の街で、まさに夜も操業を続ける工場の姿から名づけられたという。ちょうど時刻もライトアップされた工場を撮るにはいい頃合いで、これはいってみるしかない。
確かに工場はたくさんあったが、きれいにライトアップしているのは見つけられなかった。だが一応最後まで確かめてみようとその道がつきあたりにぶつかるところまで進んでみた。思ったより長い道のりだった。
臨海部の物寂しさに耐えられなくなって、産業道路の向こう側人が住む街の中に入り込んだ。もうクロージングタイム。このあたり川崎区は扇型に広がっている。その広さに比べて鉄道はあまり発達してないが、その代わりバス路線は豊富でいたせりつくせりだ。現実的な解はバス。それは最初から最後までそうだった。だが、なんとなく鉄道駅で散歩をしめくくりたいような気がして、鶴見線、南部支線に久しぶりに乗ってみたい、いやそれで遠回りして川崎に出るならな最初から歩いて川崎駅周辺に出た方がいいんじゃないかという、二つの頭の中の声がせめぎあいながら、真っ暗になった道をうろうろする。
飲み屋の入口、無地の白い暖簾の下を丸テーブルがふさいでいて、よくみるとその上にセミの死骸がのっていた。夏も終わりなんだろうか。
やがて鋼管通りに出る。今でもJFEスチールとして残っているが、かつての日本鋼管という会社の工場にちなんで名づけられた通りだ。往時は、工業高校を卒業して、日本鋼管の工員となり結婚して子供を作り、毎週日曜日には近所の中華料理屋で家族みんなで食事をする、というような人生のコースがあったのだ。
そうこうするうちに鶴見線、南武支線の連絡駅浜川崎にたどりついた。さみしい駅前だ。この時間帯電車は1時間に1本〜2本という感じだが、調べると鶴見線がまさにどんぴしゃのタイミングでやってくることがわかったので、そちらのホームに急ぐ。
鶴見を経由して川崎に出た。タリーズで、エスプレッソスワークル。ストローから吸い込む氷の細かな粒が口の中に広がる。