3月生まれは蕎麦が好き

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土曜日は知らない街を歩いて好奇心に水をやりたいところだが、今日はさんざん歩きつくした恵比寿から。とりあえず目指すのも学芸大学方面と決まっている。そういう散歩で何が困るかというと、歩きながらその先のコースとその風景を予想してしまって、歩いても楽しくなさそうだなという退屈の先取りをしてしまうことだ。この役立たずの予知能力は困ったことによくあたる。そっちはおもしろくないなと思いながらも、ついついそちらに進んでしまうのだ。

歩き始める。防衛庁の技術研究所から、このあたりのランドマークである清掃工場の巨大な煙突を真下から見上げることのできる道へ。生命力にあふれた6月の濃厚な緑が目に気持ちいい。緑が多い路地を選んで予知能力の裏をかくことにした。

山手通りを渡って、学芸大学までまっすぐのびている油面通りをしばし進むが、油面地蔵通りという商店街にぶつかったところで左折していったん目黒通りに出た。実は目指しているのは武蔵野という名前の蕎麦屋。おいしいという話をきいて、いってみることにしたのだ。2003年6月6日に店の前を通っているはずなのだが、その日はちょうど五反田の蕎麦屋で食事をすませていたせいか、視界に入らなかった。

旧目黒区役所に通じる商店街の、入ってすぐのところに武蔵野はあった。なかなか風格のある店構えだ。店の中も灯りを落としてあってとても落ち着く雰囲気だった。税込み1500円の天せいろを注文。ちょっと年配の夫婦二人連れの客と同じくらいの年恰好のこの店の主人らしき人の会話に耳をかたむける。夫婦の方のはきはきとしたきれいな言葉、それに答える店主の訥々としながら独特の間がある言葉。そのリズムがなんだかとても落ち着いた。

蕎麦談義。白い蕎麦を食べつければ、もう黒い蕎麦は食べられなくなってしまうそうだ。黒い蕎麦を食べるから蕎麦アレルギーになるんじゃないかとまでいう。それから蕎麦アレルギーの原因は何かという話になったが、今度専門家の人にきいてみるということで決着。

昔話。店主と客の奥さんの方は二人とも昭和5年生まれだそうだ。御年73歳。旦那さんと店主は3月生まれ。学校に入ったばかりのころは4月生まれと丸1年ちがうので、大変だったという話に花が咲いた。そういうぼくも3月生まれ。うんうんと、影で共感していたのだった。奥さんは戦時中シンナー遊びをしていたというから何かと思えば、横須賀の航空省の裏の女学校にいっていったので、シンナーを使って飛行機の部品の塗装みたいなことをさせられていたそうだ。

さて、そうこうしているうちにようやく蕎麦ができてきた。天ぷらは海老が一尾としし唐だけ。蕎麦も量は少ない。が、味はいい。海老の天ぷらのなんともいえないうまみが最高。昔の方がずっとおいしかったという話を聞いていたが、店主が話し込んでいる間に蕎麦ができてきて、厨房の中から若い声が聞こえてきたので、もうある程度代替わりしているのだろう。

散歩再開。前回通った旧区役所はさけて、学芸大学の駅のほうへ。作業着を着た小太りの中年男性の乗った車椅子を学生らしい若い男がおしている。敬語で話していたのでボランティアだろうか。すみれ色の花のまわりで、黒いアゲハチョウがはげしく舞い踊っていた。思わずそのダンスにみとれてしまった。

野沢龍雲寺の近くから環七を渡って駒沢公園の中に入る。ベンチでしばし休憩。駒沢公園通りに出て、北に進みながらも、都心に戻る東の方向をうかがう。若林と松陰神社前のちょうど中間で世田谷線の踏切を渡り、若林陸橋の先で再び環七を渡った。世田谷代田の駅前を通って、下北沢まで。13.6kmと久しぶりのロングウォーク。今年一番なのは当然として歴代でも3位だ。

喉がかわいていたが、スタバであえて温かいソイラテを飲んだ。その方が時間をかけて飲めて、結局は喉のかわきもおさまるからだ。

ヴィレッジ・ヴァンガードで笙野頼子『居場所もなかった』と阿部和重『無情の世界』を買う。

新宿に出て、ヨドバシカメラでDVD記録ドライブSONY DRU-510Aを買った。デザインが気にいっていて(今のPCとあう)、29000円とかなり安くなっていたからだ。これでVideo-CD 8枚組みの『恋のためらい』をDVD1~2枚にしようと思っている。ポイントでDVD-Rのメディアも買う。

電車の吊広告で、ユニクロでドライウェアのセールをやっているというのを見たので、南口のタイムズスクエアとところで4枚ばかりまとめ買いした。これからの季節汗かきのぼくには必需品だ。

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