アメリカの夜

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ちょうど台風の影響が過ぎ去ろうとする頃に会社を出た。お荷物になるカサはできればもっていきなくなかったのだが、会社のビルを出てから駅までの間は必要になりそうなのと、ほかにまともなカサがなく明日が予報はずれの雨だった場合に困るので、もっていくことにした。

芝居を観るために三鷹に向かう。駅前探検クラブによると、川崎からは東海道線で東京に出て、中央線に乗り換えるのが近いようだ。予定通り開演時間の30分ほど前に到着。劇場は駅から歩いて20分くらいのところにあり、バスでいくのがふつうのようなのだが、ぼくにしてみればそれくらいの距離を歩かないでどうするというようなもので、歩いても間に合う時間に着くようにしたのだった。というより、待ち時間を考えればバスでも歩きでもそれほど変わらないだろう。

三鷹の駅前に奇妙な彫刻があるという話を聞いたので歩き始める前に見てみることにした。南口の正面、コンコースの端にそれは確かにあった。葉のない木をひょろ長い三人の人物が取り囲んでいる像だ。一人は帽子をかぶった若い男性で杖をもち犬を連れている(盲目ということなのだろう)。二人目は女性で花瓶のようなものを胸のあたりに掲げている。三人目はひげをはやした中年の男性で1995という題字がある本を持っている。調べてみたら、池田宗弘という人の「ハーモニー」という名前の作品で、三人の人物はそれぞれ「福祉」、「環境」、「文化」を表しているらしい。気持ち悪いという意見もあるが、ぼくは好きだ。アートというのはそもそも気持ち悪いものなのだ。

南口の商店街をまっすぐゆく。台風の名残で空はまだ暗い雲に覆われ、街灯だけが街を照らしていた。そのくせ、嵐がすぎさったばかりの街は人があふれ、きらきらと輝いていた。なんだか、昼間の風景にフィルターをかけて夜のように見せかけようとしているように見えた。それは古い映画の技法で「アメリカの夜」と呼ばれている。

商店街が終わったところで右手に曲がって連雀通りをしばらく進むと、三鷹市芸術文化センターがある。まだ真新しい建物で、中もホテルのロビーを思われるようないい感じだった。撮影をするとかで、席がひとつ前になってラッキーだった。

芝居が終わったのは9時半。当然のことながらまた歩く。くねくねと独特のカーブを描くガードレールに車のヘッドライトがあたり、一瞬子猫のような模様を描き出した。行きは気づかなかったが商店街のはずれに貸本屋があって日曜日定休なので今日借りるとお得などということが貼りだしてあった。いまどき貸本屋なんて珍しい。見上げると、吉祥寺方向のビルの壁面で“m”という文字がとてもきれいにライトアップされている。

興にのって吉祥寺まで歩くことしたが、夕方ふいていた風がやんでとても蒸し暑かった。吉祥寺に着くころにはへとへとだった。何のために歩いたのかわからない。ヴィレッジ・ヴァンガードに入って、そこで何か買えば、買い物が目的ということになるが、特に何も買わずに外に出た。ガードをくぐって客引きの腕を避けながら井の頭線の駅に向かったが、あともう少しというところでカサをヴィレッジ・ヴァンガードに忘れたことに気がついた。呪詛の言葉をかみ殺しながら、もういちどぐるりと吉祥寺の街を一周する。何年かあとに、きっと、ぼくの記憶の中では、カサを取り戻すために吉祥寺まで歩いたということになっているだろう。

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