横浜物語

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東横線桜木町駅には別れを告げることはできなかったが、新顔のみなとみらい線にこんにちはの挨拶をしておくことにした。横浜で接続する東横線側も一部区間が地下になるという変更があったはずなので、そのあたりを確かめるために、多摩川まで北上してそこから東横線に乗る。

開通初日の混雑の影響で電車が遅れていた。乗り込んだ普通列車は東横線の車両でいまひとつ面白みがない。菊名で待ち合わせた特急電車はみなとみらい線の車両だったが、今日はじっくり観察するためこのまま各駅電車に乗り続ける。その犠牲の甲斐あって、東白楽駅までは従来どおりの線路を走り、そこを出てから地下にすべりこむことが判明した。反町は完全な地下ホームで、その次の横浜も地下に移動していた。横浜駅は列車待ち合わせや折り返しの設備があるのだろうかと思っていたが、実際は1面2線でホームの幅は広いものの単なる途中駅にすぎない構造になっていた。

そこからがみなとみらい線。最初の新高島はダークグレーが特徴的なシックな駅舎。旧高島町駅は利用客が少なくて失礼ながら存在意義があまり感じられない駅だったが、こちらはみなとみらい地区の入口に位置しているため、それなりに客数が多そうだ。そこから、みなとみらい、馬車道、日本大通り、と電車は横浜の中心部を進んでいく。もっとも地下なので、どのあたりにいるのかという実感はまったくない。日本大通りでは、終点の元町・中華街では駅からでるまで若干時間がかかるほど混雑しているので、ここでおりて10分ほど歩いた方がいいですとアナウンスその他で勧められたが、こちとら最後まで乗りとおすのが目的なのだから、もちろんその提案は却下した。そもそも対応をはじめたときには、もう状況は変化しているもので、夕方近い時間から考えて、これ以上混雑がひどくなる方向へは変化しないだろうと判断したのだ。

終点到着。元町・中華街という名前の通り、出口は中華街側と元町側の2つある。ぼくは前方の元町側の改札から出ることにした。たしかに混雑はしていたが、予想通り隣駅でおりるほどではなかった。だが、外に出るまでに時間がかかるというのはほんとうで、大江戸線並に地上から深いところにホームがあるためと、そこから上にあがるためのエスカレータが、東京の都心の地下鉄駅のように長いのが2, 3本というのではなく、短いのを何本も乗り継いでいく形になっていたので、その度に人の流れが滞っていたからだ。

ようやく外に出ると、ちょうど元町通りの入口のところだった。元町を紹介する地図入りのパンフレットを配っていたのでもらう。それを持って散歩開始。にぎわう元町通りを人並みと同調する速度でのろのろ進み、石川町駅の手前で山手方向に折れた。階段をのぼると山手イタリア山庭園があり、山手公園のあたりまで、異国情緒というほとんどすりきれて何の意味ももたなくなってしまった言葉をよびさます。坂をくだると夢のようにそれは消えうせて、すすけた街並みがだらだらと続いていく。そちらは何度か歩いた記憶があるので、ちょっと針路をかえるために右手の大きな通りを渡って向こう側に出てみた。

途中気まぐれにデジカメのシャッターを切ってみるが、ろくな写真が撮れていないことは撮る前からわかっている。写真の撮り方が完璧に何か間違っているということの証拠が、シャッターを押すたびに蓄積されてゆく。そうして歩いている途中、カシャーンと金属がぶつかる音が鳴り響いたのだが、ぼくは特に気にもとめなかった。それがあとで大きな問題となることにそのときぼくは気づいていなかった。

住所が本牧に変わった。目の前には大きなマンションやショッピングセンターがそびえている。ようやく本牧にくることができたのだ。これまで何度か来ようとしてみたが、どうも方角がずれてしまって埠頭や根岸方面にたどりついてしまっていたのだ。マイカルがあるし、広い道路をバスが何台も連なってまるでパレードのように走り抜けている。ここもまた世界の中心だ。

三渓園に続くさびれた商店街に入ったところで、暗くなってきたし、そろそろデジカメをバックにしまおうかと、レンズキャップをつけようとしたら、どうもうまくついてくれない。おかしいなと思ってよくよくデジカメを眺めてみると、レンズの先についていたダミーのリング(説明が難しいが、これをはずしてレンズフードやフィルターをつけられるようになっている)がはずれて、ぐるぐるとまわりを取り囲む溝がむきだしになっている。とっさにさっきの金属音を思い出した。あのときはずれて地面に落ちたのだ。ところが、あの音を聞いたのがどこだったかほとんど記憶に残っていない。

なければそれなりに困るものなので、半ば呆然とどうしようかと考えあぐねながら歩いていたら、白人の男性二人組みが何やら身振りを交えて話している。まだぼんやりしたままその横を通り過ぎようとしたが、彼らの視線から、話しかけているのがぼくだということにようやく気がついた。

「Bus. Bus, No.10」

そんなこといわれても、ぼくがここにきたのははじめてだし、バス乗場はぼくが教えてほしいくらいだよ。ということをいうボキャブラリーはないので、「Sorry, I don't know.」と知る限りの言葉をかき集めてその場をしのいだ。

三渓園の前についたときにはもう夕暮れが深くなっていた。もちろん入ることはできないので、バス通りをさがして住宅地の中をさまよって、どうにか元の本牧通りにでることができた。左手の二つ谷というバス停からバスに乗り込むことにする。6.1kmだった。

さっきの二人組みがバスに乗りこんできたら、あれ、おまえさっきは知らないっていったのに、バスに乗っているじゃないか、What the hell?、という感じで気まずいだろうなと思っていたが、さすがにそこまで運命の女神は意地悪ではなかった。が、もうひとつの意地悪に対しとりあえずベストをつくすふりでもしておこうかと、本牧一丁目のバス停で下車して、もと歩いた道をたどる。といってももう真っ暗で、そんななかから直径5cmちょっとの黒いわっかを探すのは至難のわざだった。何だか下を向いて歩いているとわびしい気持ちになってくる。

石川町の駅まで戻ったが結局見つけられなかった。あきらめて食事をすることにした。トイレに入りたかったので、駅の構内に入り、そのまま隣駅の関内までいってしまうことにした。

有隣堂の裏手の横浜亭という洋食屋に入った。テレビがついてサザエさんがやっている。みるのは何年ぶりだろう。カツオは相変わらず波平の盆栽や万年筆をこわして怒られていた。ビーフカツとライスを注文。肉は若干かためだったが、ころもについている味がいい。合計1350円。隣の席の高校を出てから何年もたっていなさそうな男女二人連れが気になった。女性の方はかなり可愛いといっていい容姿だが、男性の方はオタク系。あまり会話も盛り上がっていなさそうだったが、どういう関係なのだろうなんて、余計なお世話だ。

根岸線のガードをくぐって馬車道のタリーズへ。ラストスパートに入った本のゴールにたどり着くために入ったのだが、隣の隣の席の女性二人の会話が面白すぎて、本にはほとんど身が入らなかった。

片方が村上龍の『13歳のためのハローワーク』の話をしたら、もうひとりが今日買って帰るという。それを読んで、今のような「バカな」(目的のないというような言葉にいい直していた)フリーター生活をやめるんだと意気投合していた(二人ともフリーターらしい)。24歳くらいのときに自分がもう若くないなんて思っていたけど、28歳のときに振り返って考えたら、まだまだ全然若かったことがわかった(ということは今は30歳以上か?)。これから先の人生で今が一番若いのだから、年齢なんて関係ない。40歳になったときに五体満足だったら、観光地でリゾートバイクの仕事をする。収入がいいので2年で200万円はたまる。それで外国でしばらく暮らしたりとか、好きなことをする。

昔、女性3人で民宿に泊まりにいったとき、その中の一番若くて魅力的な19歳の女性が、初対面の男客とすぐに仲良くなってしまって、あろうことか彼女たちの部屋でやりはじめた。壁が薄いので声や音が丸聞こえで、それを聞いて相手の男の連れの男たちもすっかりやる気まんまんになってしまって、しきりに彼女たち二人を誘いはじめる。恐いし、部屋は占有されてしまっているので、泣く泣く彼女たちは唯一カギのかかるスペースであるトイレに宿泊するはめになったそうだ。トイレの隙間から男が「やろう」などと書いた紙をいれてきて、たまらなかった。19歳の女性はその夜、合計三人の相手をした。

あともうひとつ話をきいたが、あまりに個人的なことがらに関わるので自主規制をする。彼女たちの話はすばらしかった。感心させられたり、勇気づけられたり、笑わせてくれた。頭もいいしセンスもあるのに、そういう人たちがフリーターをしているのがいまのこの国の現実なのであった。

後ろ髪をひかれる思いだが、楽しいものにはいつしか終わりがある。馬車道の駅から再び、みなとみらい線に乗り込む。今度は横浜で下車したが、きた西口とかきた東口とかわけのわからない入口が出来て、異世界のようになっていた。

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