新人類とおたくが交差する場所

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雨が降っていて凍えるほど寒いので散歩はあきらめ、東京都現代美術館に向かう。東京オペラシティギャラリーとどちらにしょうか迷ったのだが、現代美術館の方はもう展示が明日で終わりだったのだ。

東京駅から乗ったバスから降りて、まずカサを傘立てに置こうとするが、100円玉をいれてからカサをリングの部分に押し込んでキーを押しながら回すというプロマジシャン並みの手さばきが必要とされるので、係員の人にお願いしてしまった。やはり相当難しいのはわかっているようで、その人は傘立て専属だった。それにしても今日は人が多い。みんな当然「球体関節人形展」を見に来ているのだ。チケット売り場でも、条件反射的に「球体関節人形展」の方を買わされそうになった。アマノジャクのぼくはもうひとつの企画展である「MOTアニュアル2004 私はどこから来たのか/そしてどこへ行くのか」展を見に来たのだが、売り場の女性にさも意外だという反応をされてしまった。

今東京都現代美術館は、新人類とおたくが交差する場所だ。おたくは大挙して「球体関節人形展」に押し寄せ、知的スノッブの新人類は「私はどこから来たのか/そしてどこへ行くのか」という空虚な問に答えるために三々五々やってくる。(実際は逆で「球体関節人形展」はいわゆるおたくの範疇では異端でむしろ新人類をターゲットにいれており、「私は…」の方にやってくるのが現代美術オタなのかもしれない)。

最近、現代美術も自分にとって新鮮味がなくなったと思い始めていたが、それは杞憂だったようで、今回の「私は…」展は十分楽しめた。「球体関節人形展」の陰に隠しておくのがもったいない。入っていきなりが、北島敬三という人の写真作品で、男女6人の上半身のポートレイトを10年以上に渡って継続して撮りためて、それを壁一面に、人に関してはバラバラに、撮影した時期に関しては、右から左に向かうにつれて最近になるように、並べらている。つまり、ある人を選んで、その人を右から左に順番に探してゆくと、少しずつ年齢を重ねて変化しているのがわかるのだ。着ている服はみな白いワイシャツにそろえられているので、なおさら変化が強調される。写真の表情はどれもかなり緊張していて、少しずつ死に近づく行進に参加している人の顔のようだった。

絵画でとても気に入ったのが奥井ゆみ子の作品。くすんだ色調の広いキャンバスの片隅に記号のように単純化された人の姿が点々と描かれている。場所は教室だったり、美術館だったり、山狩りだったり、ボクシングのリングだったり、飛行場だったりする。ふつう絵画は人を中心に描くけど、あえて中心からはずすことにより、人とまわりの空間の関係がリアルなスケールで描かれているように思った。

山口晃の絵巻もユーモラスでいい。「すずしろ日記」は地方の金持ちや国外のキュレータに歓待を受けながら絵を描くエピソードが綴れていて、画家生活はそんなにリッチなものなのかと羨望を起こさせておいて、実はそれが夢想だったという落ち。「今様遊楽園」という様々な時代がまじりあった一種の巨大レジャーランドを描いた作品は、風刺でありながらそれだけで終わらない凄みのようなものを感じた。

絵画ではないが、磯山智之の作品の中では、辞書の口絵を集めてABC順に並べた作品が面白かった。辞書の口絵はこうしてみるととても楽しいものだ。

小瀬村真美の映像作品はすごかった。よくある静物画のように、中央にミカンが入ったかご、左手にレモン、右手にティーカップが置かれている構図になっていて、その上をときおり光と影が通り過ぎてゆくほかは何の動きもない。何の予備知識もなかったので、意味不明な特殊効果だなと思っていたのだが、ふと左手のレモンの一つがどす黒く変色して形が崩れているのに気がついて、高速度でフィルムがまわされていて光と影は昼夜の入れ替わりを示しているということがわかった。やがてミカンの葉がしぼみはじめ、ティーカップの縁にひびが入りそれが広がってゆく。最後には画面そのものに灰色のノイズが入り、ぼくらは静物を撮ったビデオを見ていたわけではなく、静物を撮ったフィルムを映写している様を映したビデオを見ていたのであって、そのフィルムがどんどん劣化してついには映像が途切れてしまう。

3階にあがって、三浦淳子という人の映像作品をみる。一編一時間弱くらいの長さの作品が五編あって、それをスケジュールを組んで順番に上映している。ぼくが到着したのはちょうど閉館前最後の回がはじまる時間で、『孤独の輪郭』という作者の92歳になる祖母の奇妙な日常を描いた作品だった。彼女は、自分がラジオ局の「委員長」を勤めていると思っていて、毎朝決まった時間、誰も聞いていない空間に向けて、挨拶をしたり詩の朗読をしたりしているのだ。そのほか、いないはずの人間の姿が見えて、会話をしたりもするのだけど、単なるぼけというには妙に整合性がとれていて、もともと頭がいいしっかりした人だったということがよくわかる。ぼくは、彼女の幻想の世界に誰もが避けることのできない老いの哀しさを感じて逃げ出したいような気分になったのだけど、画面の中で繰り返される日常の圧倒的なリアリティからはどこにも逃げ場がないような気がして、席をたてなかった。

閉館を告げる蛍の光とかぶるように映像が終わり、ぼくにまだ軽快なフットワーク残っていることを確かめるように階段を駆けおりて、外に出た。

雨は上がっていた。空を見上げながら息を吐き出すと、ダークグレーの空を背景に綿あめのように広がっていった。帰りは木場公園を横切って木場駅まで歩くことにした。仙台堀川を渡る人道橋は、欄干で光る蛍光灯が雨に濡れた地面に反射してとてもきれいだった。橋の真ん中あたりで、太った女の子が途方に暮れたようにただ遠くのビルの群れを眺めていた。

いきなりの寒さで、これまでかろうじて踏みとどまってきた一線を越えて風邪ひきになりそうな予感がしたので、コンビニでビタミンC1000mgの入ったサプリメント飲料を買ってから、木場駅到着。

東西線で大手町まで出て、東京駅に向かおうとするが、逆側の出口から出てしまって、丸ノ内線でゆこうとするが逆方向に乗ってしまい、二駅もどって、ようやく東京駅についた。というのも、ほんとうに東京駅にいきたいのかどうか自分でもわかっていなかったのだ。

カレー屋アルプスで、カツカレー大盛り、税込み520円。おいしい。

八重洲ブックセンターをひやかしたあと、有楽町まででて、スタバでゆっくりコーヒーをすすっていたら、いきなり閉店を告げられた。まだ半分くらい残っていて熱くてすぐには飲み干せないので、それまでまってほしいというつもりで「まだ残っているんですけど」といったら、「どうぞ、お待ち帰りくださって結構です」と体よく追い出された。カップをもったまま途方にくれるぼく。

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