秋の陽光が降り注いでいたが、ときおり強い風が吹いていろいろなものをゆらゆら揺らしていた。夜になると冷え込むかなと思ったが、幸い風は早々と凪いでくれた。
小田急線の喜多見。10/28に放送された文化系トークラジオlifeのPodcastをききながら歩く。テーマは「しょうらいのゆめ」だ。仲俣暁生さんが、「ゆめ」とはいうけど、今ではそれが具体的な職業などの「現実」のことになっているのではないのと違和感を表明して、「自分の周りに雲みたいに夢の膜をつくって歩いていくと、夢がガードしてくれて現実をかきわけていける」といい、それに対してチャーリーがそれは現実がソリッドに感じられた時代だからで、自分たちのときには現実はふにゃふにゃになっていてむしろかためたいと思ったという、世代間の対比がとても興味深かった。世代的に近いからかもしれないが、ぼくは断然仲俣派というか、もっと極端にゆめ7割、現実3割くらいの感覚で生きている。こうして歩いているのも、現実の街ではなく、ゆめのフィルターを介した街なのだ。だからたまに現実に触れることがあると、立ちすくんでしまう。
白と黒のツートンカラーに塗り分けられていかにもパトカーなのだけど、警察本部の名前とサイレンのない車の脇を何気なく通り過ぎる。
高円寺から桜上水、祖師ヶ谷大蔵を通ってほぼ一直線に進む、地中に水道管の通った道路の末端、砧浄水場にたどりついた。そこで道路は構内に吸い込まれるように消え失せる。迂回して何度何度も道を折れ曲がっていたら、やがて撮影用の車のレンタルサービスの看板が目に入って、その駐車場の中にさきほど見たパトカーもどきが見えた。元の場所に舞い戻ってしまったのだ。だが、おかげでパトカーもどきの正体がわかった。
アクリルの半透明の板越しに仙川の川面を光るものがつうっと通り抜けるのが見えたが、こんな狭くて浅い川を屋形船が通るわけはなく、対岸を通る車のヘッドライトが反射しているのだった。
秋になると来たくなる場所、砧公園。公園の中は一足先に夜の帳が降りていた。背の高い孤独な僧侶のような街灯が、青い光をなげかける。人は実体をなくして影になって歩き回っている。遠くで通奏低音のように響く自動車の音だけが、このどこでもない場所と、現実の街を結びつけていた。
用賀。久しぶりの大戸屋。カキフライがおいしい。
駒場で芝居をみるので、池尻大橋でおりる。渋谷からでも歩けるが、池尻大橋からも十分近い(坂をのぼらなくてはいけないけど)。
芝居の後の不思議な解放感に導かれて、いつものように渋谷まで歩いた。新規オープンしたブックファースト文化村通り店をひやかしてみた。地下1階が文庫、文芸書、雑誌など、地下2階が新書、ビジネス書、専門書などだ。今までの場所から比べると売り場面積は大幅ダウンだが、背の高い書棚を効率的に配置して、新刊書籍についてはそれほど見劣りしないようになっていたが、本格的に本を探すときは別の街にいかなくてはいけない。


コメントする