世界の終わりを告げるような連日の雷雨の隙間に現れた青空。もくもくと膨らんだ白い雲に悪意はみじんも感じなかった。
散歩の前に、渋谷でCDを買うついでに、先週末の夜見つけた、王様のかっこうをして携帯電話を見つめているひげ面の男の人形のようなものを昼の光の下で撮ろうと思っていったら、影も形もなかった。すべての瞬間が決定的瞬間なんだなと思いつつも、あれが一体全体何だったのか気になる。身体が半分壁にめり込んでいたので、やけにリアルな人形だなと思ったけど、ストリートパフォーマーのパフォーマンスだったのだろうか。
auの車内広告にバナナとは話せませんと書いてあったけど、ぼくはバナナと話せる携帯電話がほしかったのかもしれない。
聖蹟桜ヶ丘から。傾いた西日に敬虔な信仰をささげるように一直線に伸びる道路。そのパワーをさえぎるものは何もなかった。紫外線にあぶられながら、ぼくはイヤフォンのコードをほどくのに四苦八苦。よくもこう複雑にからみあうものだと訝りつつも、それが単純なタンパク質が複雑な生命を生み出すしくみと共通しているような気がしてくる。
多摩川にぶつかるが多摩川は渡らずに程久保川沿いの道。次いで、浅川にぶつかり、多摩モノレールの下の橋を渡る。それ以降はずっとモノレール。モノレールにも乗れーるとPasmoの宣伝を人知れずつぶやきながら、汗だくでもう雨が恋しくなっている。空はもう毒々しい雲に覆われていた。目をこらすと微細な雨粒が砂のように舞っているのがみえたが、幻覚だったのかもしれない。
モノレールから離れてJR中央線の日野駅まで。雨は、吉祥寺で食事をしている間に降ってきた。こうして雨とともに一日限りの休みは終わる。


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